3月の高校卒業式後に娘とルーツをたどる旅行に行きました。

その前に私は以前から調べておいた実母の住所に今回の予定を書いた手紙を出すことにしました。

始めに裁判に使用した戸籍謄本等を保存してありそれが頼りになりました。

ただ、そこに住んでいるかどうか本籍と同じかどうか賭けでした。

18年間の思いはそう簡単には書けません。しかも出発まで時間がないので何とかまとめようと毎日、考えて書き出しましたが丁度、ベビーラッシュで当初入っていたのは3人の予定でしたがあれよあれよで気がつけば7人が誕生し、忙しくてなかなか落ち着いて書けず、とにかく今まで手紙も写真も出していなかったので子供が来てからの様子や性格・体調などをお知らせし保育園や小学校などで起きたエピソードなどまた告知が遅れて6歳で慌てたことなど、その様子などをお知らせしました。

そして最も私が伝えたい事「生んで下さった事、私たちに託して下さった事」に深く深く感謝を述べました。

 

きっと読む内容1つ1つが夢のような事だろう・・・また上手く実母の所に届くかな、返事があるかななど複雑な毎日を送りました。

時間が迫ってしまい焦りながら書く手紙となり申し訳なく思いましたが出来たら子供と再会して欲しいと言う私の願いも深く、娘は「会えないと思う。きっと無理だと思う」と取材で話していましたが心の中では期待もあったと思います。

速達・書留で出しました。

そうしたら出発の数日前ギリギリに速達が届きました。まさしく実母さんの名前でした。

「来た!」と思いドキドキしました。

驚いた事、18年が経過した事、当時の気持ちなど私も親になり気持ちは理解出来ます。

懐かしんでくれました。

私が生まれた病院で事情は簡単に聞いたと書いたので育てられない事情は知ったと思ったのか「悪い母親ですよね」という文面があり、それが心に響きました。

当時の団体の会長は情報は開示しない方針なので簡単な説明しか聞いていませんでした。

「何を聞いても私も娘も驚きません」とは書きましたが実母さんはそうはいきません。

そして「18年が経過した事、産んだ時、一度も子供の顔を見ないで別れる事を決断しここまで来た事など」気持ちが書かれていました。

上のお子さんたちが結婚されてお孫さんもいる事などあちらの変化も知らせて下さいました。

そしてあちらも「生んだ私の子を大事に育てて下さり感謝しています。ありがとうございます」と丁寧な言葉で書かれておりました。

「一晩ずっと考えて、こんな母親でも会いたいと言って下さるのに会わない方がいい、そう決断しました」と詫びていらっしゃいました。

当時、決断した気持ちが今でもそうさせているのでしょうか。

無理強いはしないと何度も言ったので今回は仕方ないと思いました。

 

他の実母からの伝言や手紙など今まで沢山経験して来ましたが自分も一人の親としてこうして体験すると胸が熱くなります。目頭が熱くなります。複雑な実母の想いと言うものをずっしり感じました。

私が自分が養子縁組で迎えた経験を活かしベビー救済活動をしていることを少し説明しました。

そこに4歳で子供も携わりずっと私の背中を見てここまで成長した事も伝えました。

親子で「どんな体験も驚かない」と言うのは事実です。それだけ数えきれないほど私達は経験したので怖くはないと感じていますがまだ実母さんにはこの理解は難しいなと感じました。

養子に出した事を「酷い母親」と書いてありどこの実親も同じように皆さん、やはりそう感じてしまうのでしょうね。「そうじゃない」と言うのですがこれはなかなか難しい。再会するとそれも分かって頂けると私は想います。

 

実母に会いたいと言ってくれたことを凄く嬉しく思ってくれたようです。

今回、ルーツを訪ねる旅となりましたが事前に「会えない」と言う結果が分かり娘に伝えるかそうか悩みましたが隠して後で「どうして言ってくれなかったのか」と責められても嫌なので前日に話しました。

娘は私が「手紙を書いた事」「実母から返事か来た事」が嬉しかったようで「今回、再会は出来ないよいいね」と言ったら「多分、無理だと思っていたから会えないのはいいよ。でも返事が来たのが凄いね」と手紙を何度も読んで「私がこれをもらっていい?」「返事書こうかな?いいかな」と聞いて来ました。

「18年も経過していきなり会いたいと言う手紙が来ても驚くばかりで少し時間必要だと思うよ。でもいつかは会えるよ、きっと次は会えると思うからしっかり夢を実現させようじゃないか!」と言いました。

それから出発が近づいているのに早速手紙を書きだしていて数日後にゴミ箱に書き損じの便せんが丸め込んであり、読んだらまぁおばさんみたいな文章で「急な手紙が来て驚かれたでしょう」とか「絶対に無理にとはいいませんが将来、自分が看護師になったらお逢いしたいです」なんていう感じでした。(;´・ω・)

 

でもさすがに書き切れず、長崎から帰宅しても出せずにいて3月月末に仕上がりました。

考えれば考えるほど何を書けばいいのか・・・分からないと言いました。

「今の自分の状況とか将来の希望でいいんじゃないの」と言うと「そうだよね」とどうにか書き終わり、封をしないで机に置いてあるので留守の時に秘密で読んでみました。

またおばさんみたな文章で考え考え書いているのが理解出来ます。

今の娘の精一杯の気持ちでした。

「生んでくれてありがとう」を何度も書いてあり「感謝しています」も何回か登場していました。この言葉に尽きますね養子縁組には。後は何もいらない気がします。

送る前に「封がしていないから私も読んでいいの?」と聞くと「それはちょっと・・・・」と言うのですがじゃぁ、なぜ封しないんだよ!と思いました。

 

写真を送っていないので子供写真館で撮影したものやアルバムから年長さんまでと娘は高校のクラスメイトや卒業式や担任との写真を入れて次回にまたねと言って茨城の地場産をいくつか入れて送りました。

娘への返信は未だありませんがいつか気持ちが固まれば送って下さるのではと少し時間を置こうと思います。

娘も返信がなくても自分の気持ちを伝えたかったようですからそれで満足しています。

そして必ず実母さんは手紙を娘に書いて下さると確信しています。

それは私が手紙を出すときに何気に私の携帯番号を書きました。

すると実母さんの返信にも携帯番号が書いてありました。

これで終わりにするならばご自分の携帯番号は記載しないと思います。

だからいつか必ず返信があると思います。

もしかしたら携帯に連絡があるかもしれません。

私もそっと携帯のアドレスに登録しました。きっと連絡する日が来るだろうと願いながらいます。

 

長崎空港に着き、目的を実行する為、レンタカーを借りて私が運転しました。

娘もすでに免許は取りましたがやりたがるのを止めて私が誘導しました。

懐かしい道のり、娘の生まれた病院の前を通過するときは二人で「どこかで見た背景」と思いわず「多良見の病院!」と叫んでしまいました。何度もお迎えで来た病院です。今回は挨拶無しで通過。

20分ぐらい山をドライブし諫早湾です眺めはいいです。

妊娠中に実母さん家族が住んでいた住まいを調べて今は新しく様変わりしていますが「ここに家族で住んでたみたいよ」と言いました。

「ふ〜ん」と言って10分ほどで今の住居であろう所に移動しました。

そこも15分ぐらいで着いて多分そこは実母さんの実家ではないかと思います。

娘も調べていてグーグルマップで確認したようですが道が狭くて上からしか確認できず、車を置いて階段を上り、両脇にある家を見ながら表札も確認出来るところばかりはなく、あまり知らない家の庭先まで入っても行けずなんとなくここかな?と言う家があり、娘も「ここだと思う」と言ってました。

黒い軽自動車と軽トラが止まっていてなぜか私達親子は「ここの感じがするね」と言いました。

 

家を探していると犬がわんわんあちこちで吠えて、不審者と思われても困るので眺めのいい上の方で湾を眺めてこの家並みのどこかに住んでるねと言いながら下りました。

「もういい?」と聞くと「もういいよ。あの家だと思うから」と言うので下の湾で写真を撮りながら長崎市内に向かいました。

娘は何を思い何を考えているかは分かりませんが「ここにいたんだね私達の家に来る前は・・・お腹の中にぽっこり浮いていたんだよきっと」と言いました。

 

車の中では無言でしたが長崎市内に行き、ハートの石が眼鏡橋にあると言うので探したら喜んでいました。

そこだけひっきりなしに人が集まっていました。

「いい彼氏が見つかるように・・・」と私は言ってやりました。「お寺じゃないよここは」と返って来ました。

 

ホテルにチェックインし夜は外で食事をし「次は長崎の夜景を見に行こうね」と言いました。いつになるやら・・・

ホテルでまだ1つ告知していない事実を話しました。もう18歳だし大人だろうと思い勇気を持って話しましたがまぁ驚きもせず受け入れていました。

予想は的中し以前から「養子に出す理由はなんであれ子供には関係ないし子供はお腹の中でどうすることも出来ないから仕方ないよ。産んでくれただけでいいんだよ。命を生み出してくれたんだから」と言ってました。

 

翌日はハウステンボスにて1日遊び、三ツ星クラスのホテルに泊まりいい思い出を作り帰宅する予定でしたがあちらこちらからと連絡が入り、「あたしの卒業旅行なのに・・・」とぶんぶんぶくれられました。

友達のお土産を買わされて機嫌は直りましたが・・・高いルーツ探しの旅となりました。

なかなか二度と泊まれないだろうと思い奮発しましたがなんだかなぁです。

まぁ、娘が喜んでいればそれでいいわけです。

 

長崎は私達親子にとり、親子の絆を作り出す原点でもあります。

生まれた病院を訪問したりゆかりの地を訪問したりと養子縁組家族にとり、凄く大事な事だと思います。

そして子供に教え、事実を伝える事・・・真実告知の意味・意義は子供が一番理解するものだと私は思います。

見る事で子供は感動し話す事で子供は理解します。

生まれて来た事、生んでくれた事、そして私たちここに本文を記入してください。
親と出会った事・・・・そこに養子縁組家族が存在するのです。

うちは18歳、それでもまだまだ終われません。

子供が「すべてに感謝が出来るまでは」と思います。

次の質問はなんだろうと考えています。なんでも来い!と母は構えています。

 

 

 


 

 

 


湾の水は碧くこの近くに18年前に胎児としていたんだね


この景色のどこかに生みの母はいるかもしれない。

こどもは心の中で「ここかな?」「あの家かな」と思いながら探した

 


 

 

翌日、心機一転卒業旅行だ!

ハウステンボスは何年ぶりかな・・・

 

 


お泊りは奮発して三ツ星クラスのホテルよ

二度と泊まらないだろうな。

 


 

 


夜景もお見事でした!




 

夜は仮面舞踏会、今から踊るだって

 

 


 


次は実母との再会につながるといいね。

ハウステンボスには当分私はいいや。

 


 

よくもまぁハート型の石を入れたこと

カップルばかり来て触って写真撮影していました!
(めがね橋近郊にて)