人生ですから・・・

  • 2019.02.09 Saturday
  • 14:00

受験の真っただ中、お受験の子供達もいるかも知れませんね。

なんにせよ今の子供達は大変です。

来年から大学入試にも影響すると言う入試方法が変わると言うことで進学塾でもなるべく年内で合格させて浪人は避けたいと話していました。

娘の高校でも上を狙っていたけど浪人は嫌だとランクを下げた生徒も多くいるそうです。

うちの子どもの場合、まず通える範囲・併願の可能な大学を中心に考えましたがもともと付属の高校ですから付属に行かない子は自分で探す事になっているらしく先生も冷たい。

自分で探すと言っても的が絞れずいつまでもフワフワしており夏休みにオーキャンに行くからと言ってましたがどこで決めたらいいのかも本人は分からない。

 

塾に行かせてましたが指導の先生は「希望は大きく」と言うのでうちではそんなレベルじゃないと言うのに「もっと上でもいいでしょう」と言われてやはり有名な大学に入れて塾の評判を上げたいのだと思いました。

「うちの子は普通でいいので。先生そんな偏差値の高いところは無理ですよ」と言うのですが「今は駄目でも私達が指導しますから」と言うし、本人もよく分からないまま、まぁ適当に言ってたみたいです。

「先生がここがいいか?そこもいいよ」とレベルの高い大学ばかり言うんだよと言ってました。

まぁ国公立ではない私立ですからしかも通える範囲と併願出来るとなると決まってしまいます。

「通える範囲で決めるんですか?」と聞かれて「とても一人暮らしさせられる余裕はありません」と言ったらええという顔をしていました。だって本当だもん。

私立の看護大4年間で授業料いくらかかると思うのよ。600万以上ですよ。1年目が入学金入れて180万から200万、2年生から160万ぐらい。それに研修費や交通費、もろもろかかるでしょう。

学資保険を18年かけても当時300万でした。それをもらえば大学も何とかなるでしょうと積立ましたが18年後には半分にもなりません。人生は何が起こるか分かりませんね。

ましてお金の価値がどんどん下がります。

私立だからかかるとは思ってましたが700万近いと私はどんだけ養子縁組をすればいいんだろうと思いました。(;´・ω・)

もらえるお給料は決まってるしどこで工面するのよ?最後は母の懐に頼るしかない。

 

周りは「看護師になったら3年で元取れるから大丈夫よ」と言いますが今から4年間が地獄でしょうよ。

私も昨年、母子寮を再建して4年前には事務所も建てたしまさかここにきて子供が私立の看護大に行くとは、お金の工面でずっと悩んでいました。

ここ数年大きなお金が出っ放しでこれからの4年最後まで行けるだろうか、健康で頑張って働けるだろうかなどの弱気になりましたが「自分はどうして子供を迎えたかったのか?」を考えて「親なら子共が希望することや夢を叶える為に協力するよね?子供を迎えず少しの財産があっても死んだらあの世へは持って行けないよね?年老いて子供がなく世界1週に出かけたとしても面白いだろうか?美味を食べあさってもおいしいと感じるだろうか?」など自問自答していました。

子供にお金をかけて子供のいる未来を一緒に泣き笑いしながらどこにでもある普通の家庭を築きながら生きる人生の方がどれだけいいか・・・・お金はないけど子供や将来産むかも知れないそのまた子供や娘の伴侶を見るのも私の生きがいとなるはずではないかと思いました。

初心に帰ると悩みが吹き飛び明るいを未来を想像することにしました。

明日からまた一歩づす真面目に頑張ろうと決心したら気持ちも軽くなりました。

 

母が93歳になり私の出張も多くなり家を空ける事が年間増えて娘の学業も4月から更に大変になるだろうと今までショートスティとディサービスを利用していましたが12月に施設に入所の申請を出しました。

ラピスに「申し込んでもすぐに入れる保証はないから早い方がいい」と言われて出したら1月7日のショートステイのお迎えの時に「待機者がキャンセルしたのでどうでしょうか?」と言われて申請してまだ2週間ぐらいでこんなに早くいていいのか?と迷いました。

3日以内に返事をすることになりましたが「たかが1、2ヵ月早くなっただけでしょう」とラピスに言われてそうだけど、心の準備が出来ていない。

娘と相談したら「後にして入れず時間が経過したらどうする?」と言われてこれからまた忙しくなるだろうし一人には出来ないので決断しました。

「行って来ます」と言ったまま入所したので罪悪感が残り涙が出ました。

説明して「じゃぁ入るよ」とは絶対に言わないだろうし周りから仕方ないよと聞かされて泣く泣く。

 

1週間後に手続きに行き、面会したら「家族の方が面会ですというので家族って誰だろうと思った」と言うので笑ってしまいました。私ら家族じゃないのか?

予想以上に元気で老人カーを押して来ました。差し入れはそこで食べさせてほしいと言われて和菓子を持って行ったら1つすぐに食べました。後は帰ってからでいいと言いました。

まぁ眠れて「たいしたものも出ないけどね」と食事の不満もなく過ごせている様子。

怖がりなので4人部屋で母の横には母専用のトイレ、ポータブルが置いてありました。母が一番高齢なのでしょう。

100歳のおばぁちゃんが2人いるそうです。女は凄い!

50人の入居者、世界の違った老人の世話も好きじゃないと出来ないと思いました。

私は乳児なら何人でも世話できるできるけど老人となると母だけで十分な気がしました。

若い職員さんが多いのですがこれは若くないと出来ないと思います。

母の大好きな○島君は私も好感が持てて育ちのいい優しい青年です。おばぁちゃんたちのアイドルだそうです。

母も「○島君が迎えに来たよ」と言うと嬉しそうに出て行きました。

 

自分の親も面倒みれないのに本当に職員さんには感謝です。

母は「社交性があるので心配いりませんよ。みんなと話して面白いですよ」と言ってくれました。

ただ、「施設に入れられた」と認識しているのかが気になりましたが「どうかな?でも娘が忙しくて日本全国を行ったり来たりして家にいないんだよ」と話してるのである程度は理解していると思うと言ってました。

1ヵ月が経過し、この連休明けまで6日間は外泊許可が下りるので帰宅していますがああ〜認知が進んだなと思いました。

お風呂どこだっけ?とか「お昼なに食べた?朝なに食べた?」と娘が聞いたら「たいしたもの食べてない」と決まり文句を言ってたそうです。

足もよぼよぼになり周りで見ていないと転びそうです。

なるべく自己歩行でお願いしたいと言ってるので歩行させている様子。

車いすになったらうちには段差がありおんぶして帰るようになるからです。

 

食も細くなりましたがまぁまぁ食べて、たまに娘と喧嘩してます。笑

「教習所にも行き出し、仮免取った話を聞いたらしく車買ってあげる」とか嬉しい話をしていました。

「4月から大学生になり再来年は成人式だよ」と言うと「着物を買わないとね。お金がかかるなぁ。私のお金を使いなよ」と言ってくれたので「ごっつあんです!」

母もまた孫が持てたから人並みの祖母らしいことがしたいのです。みんな同じ・・・

何とかなるよ。足りなくなったら借りるね。

93歳の母は「普通の90歳より元気ですよ」と言われました。

母の93年の人生もまた昔の人ですから苦労も多い、それでも「親から健康な体をもらい真面目に働いて来たから長生きできるかな」と人に話しているのを聞いて目からウロコです。

ベビー救済を始めるときに「私も応援するよ」と言ってくれて娘を迎える時も1番に賛成してくれて旦那に話してくれていつも陰ながら沢山の私の愚痴を聞いてくれて助けてくれた母です。

 

元気で勝気でしたが90歳を超えてやはり体力も落ちてそれでも心の中では「私がいなければ、私が頑張っていなければこの家は成り立たない。娘が仕事が出来なくなる」と思っているだろうなと思うと私の心にも喝が入ります。

月に6日間は外泊させてやろうと考えています。

いつかどっちが家なのか分からなくなるのもそう遠くないと思います。

この母あってのベビー救済活動ですし現在があります。

仕方ないと諦めてはいますが母が施設に入った甲斐があるように私も感謝してまた頑張ろうと思いました。

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