地鎮祭
- 2017.06.17 Saturday
- 02:09
14日に無事に地鎮祭を終えました。
この日が会にとり最高の日だと言って雨が降ろうが解体が完了していなかろうが何があろうが絶対にこの日に実施すると言うのでその気でいました。
前日から雨模様で大変心配しました。
あの広い面積で雨でぐちょぐちょになりとてもじゃないけど長靴を履かないと拝めないだろうなと心配しました。
しかしうちにはちょうどいいサイズが合う長靴はないし朝になったら買いに行くしかないか???と考えていました。
どうにか持ちそうな雲行き、でも時々晴れ間も見えたりパラパラ来たり、どっちなんじゃない
一番に来たのが京都の奥地から副代表のいちご組が夜行バスにて到着。お疲れさま!
次にpommierさん、そして旦那・・・
今回は極うちはだけにしました。工務店も丁度用事があると言うので代理も断りましたがこれが後に問題となりました。
皆さん、な〜んにもなくなった跡地を見て唖然!口々に「ひろ〜い!」
そうなんです。ゴミ捨てに行く時にこんなに遠かったかな?と思いながら捨てに行きます。
早めに拝み始まってくれないと天気も心配だし昼食の店が3時で閉店なので気が気じゃない。
スタッフと顔見ながら「まだかな?時間間に合う?」と目くばせしながら・・・
しかし「これじゃぁ、あかん!どこからどこまでなのか目印がない。中心も分からないと始められない」と言い出し、確かによく考えたら3年前の事務所の地鎮祭の時は四角に建てる位置をロープでくくり目印がありここに建つのかと思ったけど今回は境目の杭しか打ってない。至急、工務店に電話して・・・・会社の人を寄こしてもらい旦那が説明して事無きに終えました。
すっかり忘れていました。
それから「あれがない、こいれがない」と言い出し、始めに言えよとばかりに。
バケツ2個にひしゃく、そうだっけ?物置から慌てて探しに行き、その物置がまたこの解体でぐちゃぐちゃ、しかし目の前に3年前のままあり「俺が取るから」と、埃にまみれたバケツを塩で清めろと言うのでせっせと洗い、本人は御着替えに行き、長靴をよこせとやっぱり言い出し中心に穴を掘りここだ大事。
土地の四隅にも穴を掘り、中心に大きな穴を掘り、まずはお経をあげて参加者の名前を呼び、地鎮祭の目的を述べ、お九字を切り喝を入れました。この瞬間がいつもずんと胸に来ます。喝を入れる時の声が話す声とも拝む声とも違う。さすが心・真が入っているというか力強さが伝わります。
拝んでる最中、3年前に事務所を建てて今こうして母子寮の再建をしている自分がいる事、ぽけっとを立ち上げるまでの様々な出来事、苦労が蘇ります。あの時、今こうして拝んでいるこの人の言葉にどれだけ救われたか。
どん底にいた私に命綱を与えてくれた気がしました。
「今度の会は男を入れろ。日本はまだ男社会だから一人でいいから男をスタッフに入れた方がいい」と言うのを信じていちご組の父にお願いしました。だからどうしても一度、旦那に合わせたいと思っていました。
やっと実現しました。
前会から数えたら10年以上、ぽけっとからは7年かかりました。
来た早々に面会してもらい挨拶をかわし「ええ人が入ってくれたな。良かったな」と。
あの人、この人と色々話しても本人が会っていないからいまいちだろうなと思いました。
pommierさんにはずっと私の膝の治療をお願いしていて今回旦那のメニエルの施術でお願いしたのに「鍼はなぁ・・」あの長いのを見て「あんたが俺の分までやってもらい」と逃げられた!
ツボだけ教えてもらい、こんな弱点があったのかこの人には、私は鍼よりお灸の方が痛い。悲鳴を上げつつそれが鍼の悲鳴だと居眠りして聞えており「やらずに良かった」と思ったようです。弱虫!!
鍼は何とか我慢出来ますがお灸のあのチリチリするのが痛い!でも良くなるなら私はやりたいと思います。
最後に四隅にバケツに入れたお札や五穀米を混ぜ混ぜしてみんなで穴にひしゃくで汲んで入れました。
会の繁栄と土地の清めと結界を張ったのです。
ここからぽけっとの母子寮としてスタートするのに土地神様にご挨拶とお願いをしたわけです。
いっぱい拝んでいる中に神様や仏様の名前らしきものが聞こえて来ました。
きっとこの先、色々起こるでしょうが神仏がお守り下さると思います。
約1時間ほどで無事に終了し、みんなで遅い昼食に行きました。
そこでは旦那も調子が良かったのか生ビールお代わりして飲んでいました。
副代表がいたので男性1人じゃないから話もしやすかったでしょう。
参加者の心にどのように映ったか・・・記念になったかな。
始まりました!
事務所の前の四隅にも・・・
無事に終了。記念写真!(pommierさん撮影)