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赤ちゃん支援物資の無償提供の仕組みを立ち上げました。
以下のウェブサイトで支援の仕組みを説明しております。
https://glab.shop/pages/baby-support-lp
被災者に加えてシングルマザーにも支援品をお届けしたいと思っております。
また、上のサイトでは、支援したい方向けの情報も記載しております。養親さんからの支援もお願い申し上げます。
支援品を購入していただき、その収益を被災者への物資購入に充てる形になります。
]]>当会でも北陸地方には大勢の家族がおりその日のうちに前ブロック長から大半の会員の安否確認が出来ました。
能登に1組の会員が住んでおり家のものがかなり揺れて落ちて家中大変だったようですが子供たちも元気に何とか生活が出来ていると言う報告を受け安堵しました。
断水で田んぼから水を汲みトイレに使用しているとのことです。断水も震災は断水も電気もなんでも不自由ですね。
お見舞い上げます。
元旦の楽しいひと時に起きた災難で私も参拝に向かう車で携帯の「地震です。地震です」とブザーが鳴る事、かなり連続的で震源地は?能登震度5強続いて震度7と表示され何が起きた?と思いました。
東北地震の時は関東も震度5強でさすがに茨城県も普段から地震が多いので慣れてはいましたがあの時はこれは大きいと思いましたがあんなに揺れがながくて何度も余震が来るのは初めてで怖かったです。
生まれて初めての大きな地震と余震の連続の日々でした。
同じ状態なんだろうなぁと思いました。
当時、本部には妊婦2名が母子寮にいて引き渡し前の赤ちゃんが1人おり、みんなで私の自宅でストーブを頼りに真っ暗の中、懐中電気とろうそくをつけてみんなだんまりで不安な夜を迎えてそれでも土浦市は10時には電気がつきました。
その前に旦那から「大丈夫か?気いつけてな。朝になったら家の周りを一回りして確認するようにな」と言われてからどんどん皆さんからメールやら電話やら沢山ご心配を頂いた事を思い出します。
北海道の会員から連絡をもらった時は「一体何が起きているのでしょうか?」というと「東北で大きな地震と津波が起きてます」と言われて夜に電気がついてテレビが見られてその映像で何が起きたのか理解できました。
13年も前になったか。
11月に石川県で予備軍研修会を終えたばかり、今や地震は日本のどこで起きてもおかしくない、人ごとではないと感じております。
明日は我が身で気持ちを引き締めています。
北陸に養子に出した実親さんから不安の連絡がありました。子供は?家族は?心配しますよね。
毎日、ニュースで被災状況が流れていますがこの寒い中身体を伸ばして暖まれず余震に悩まされながら眠れず精神的にまいる日々を送る被災者の方に私達が出来る事は・・・・何か暖かい物でも食べてもらえるように真心の寄付しか出来ませんが目にしたらカンパしたりスタッフと少ししか出来ませんが気持ちを届けられたらと思います。
社会人1年生になった娘が暮れに帰り一緒に元旦を迎えていましたが辰年の24歳に今年の祈願の話をしている最中でなんでこの元旦にこんな悲惨な事が起きたのだろうと話していました。
1日でも早い復興を祈るばかりです。
会員に大きな被害がなかったことに感謝します。
こういう災害が他人事では済まされない時代になったと思います。
気持ちを引き締めて生活しないといけないなぁと思いました。
今年は研修会の多い年になるかもしれないと思います。
昨年の暮れに発達に関心がある話を聞いて3月に2回目の発達の研修会を開催する予定ですが事前アンケートの回答が以外に多く今回は言語聴覚士のお話と体験談2名のお話とその後はいくつかの分けてグループディスカッションの形にする予定です。
当事者たちが集まり知る事で仲間が出来る事、同じ悩みを共有できる事が大事だと思いいい研修会にしたいと思います。
あの事前アンケートを1回で全て回答できるわけではなく少しづつ進めて行こうと思います。
東で開催した後は後半で西でも開催しますが西では前回も参加者が少なかったので前回よりは多く参加して欲しいものです。
また神奈川県で酒好きで集まる「父ちゃん会」なるものが不定期で開催されておりなかなかの好評で回を重ねるたびに参加者が増えていく事を聞いて嬉しく思います。
父ちゃんだけで集まり父ちゃんだけで話せる事や飲めなくても雰囲気を楽しみたい父ちゃんもいたり和気あいあいで楽しいひと時を過ごしていると聞き、これも養子縁組をしたからこそ集まれる事だし普段参加していない父ちゃんもこの父ちゃん会には顔を見せたりまぁ安否確認できたようでそれでよしとしますか!
シンポに欠席でも父ちゃん会に参加しているのもいてなんだこいつ?と思いましたがまぁそこは忘れていないんだな一応ぽけっとの会員だと言う事で・・・許す事にしました。笑
でも、なかなか男性たちもお母ちゃんの顔色を見ないと出られないかもしれないし家では言えない事もあるだろうしマザーに対しても言いたい事もあるだろうし・・・
酒の席で吐き出せるものは吐き出して次に進んで欲しいです。
とんづけ父ちゃんが先頭切って旗振りしてくれていますが本当にいい事だと思います。
やりたくても遠方で会員が少ないとか点在してたんぽぽでさえなかなか集まれない北海道や九州ブロックなど集まりにくいブロックには申し訳ない限りですがそのブロックで出来る範囲の何かうっぷんばらし的な・・・・こういうと語弊があるかな。
気分がいい集まりをして欲しいと思うのです。
年初めに大変な災害が怒り今年1年が今後も不安な1年にならないように御祈願して辰年の今年会員一同様には何卒ご協力のほどよろしくお願い致します。
父ちゃん会(神奈川ブロック)
いい色してますなぁ・・・
さぞかし楽しいかったでしょう!
食べたら磨くんだって
今月は楽勝で終わるかと思いきやここにきて来るは来るは、緊急な案件迄入りまたまたbabyラッシュになりました。
天気も週末悪いのに九州に2件も引き渡しが決まり果たして無事に行けるのだろうか?
今からドキドキしています。
でも何とか引き渡さないと年末年始babyたちと過ごすのはきついわ。
年末年始何も出来ないしお正月の用意も出来ない。といってもいしたことはしませんが。
気持ちがね落ち着かない。
雪よ降らないでおくれ、私を九州に静ずかに運んでおくれ、頼む。
私が「子供達来ないねぇ」というとスタッフが「そういう事言うとまた忙しくなるから・・・」と言われます。
不思議な事に少し愚痴ると「じゃぁ行ってやるよ」とまた相談が入り出しあれよあれよと言っているうちにラッシュになるから「言わないで」って言われます。
お空で聞いているんだと思います。「ぽけっと空いたから行こう」って。呼んでないから。笑
そのお陰で今年母と父になれた家族が沢山いらっしゃいますよね。
さぁ〜令和5年のラストを飾るのは誰でしょうか???
ところで今年は自宅出産や近親間の妊娠が多い年でした。
今のところ、自宅出産しても赤ちゃんは何とか無事に病院に搬送され退院しているのでいいのですが自宅出産は決して行ってはいけないと言います。
母子ともに危険が増すし死亡率が一気に上がります。
ですからその手前で救急車呼べ!となるのです。生まれないように力まないように・・・・頭が出ないように抑えてとか凄い事言ってるなぁと思いますがとにかく病院で生んで欲しい。切なる願いです。
また、今年は養子に出して8年も10年も12年も経過して連絡を実親から頂きスタッフ一同感動しております。
親ばかを見て連絡を下さった実親さんも何人もいます。
もう小学生なのに。
嬉しいのは私達も同じです。忘れないで連絡をくれた。
アルバムは欲しいとは言えなくなり、「もらっていいですよ。伝えますから」というと「いいんですか?」と。
何歳になろうとその後何人産もうと養子に出した子を忘れた事はないと実親から言われた事があります。
それだけ母の思いは深いのです。
ですから皆さん躊躇しないで親ばかに投稿して下さい。
今回、やはり見てくれているんだなぁと思いました。
うちの「親ばか」はbabyたちだけの掲示板ではありません。
アルバムを欲しいのに事情でもらえない親たちの為にもまた当会の支援者など関心のある方もこぞってご覧頂いております。
幸福になった子供達の様子、笑顔はなにものにも代えがたいです。
どうか大きなって恥ずかしいはないので遠慮なしに投稿して下さい。
連絡はなくてもじっと生んだお子さんの写真を探して毎日訪問されている実親さんもいるかも知れません。
今回、10年近く経過しても連絡を頂き家族や夫に「会っておいで」と背中を押されたと言います。
幸せな人生を歩んでいるんだなぁと思いました。
そういう女性が1人でも多く誕生する事を祈らずにはいられません。
来年の6月のシンポジウムは例年になく感動の1日、再会の1日になる事でしょう。
皆さんもお元気で楽しいクリスマスとお正月をお迎え下さい。
3400gと2600g ♂と♀ちゃんです
私、母乳あげてんの。
同じに向いて何を思うか・・・
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私は自分も養子を迎えて体験しましたが絶対に隠してはいけない、事実は必ず子供に知らせるべきだと考えています。
ぽけっとの歴史をご存じの方は初期の真実告知のシンポジウムで私の里親の先輩さんが登壇して「他人からの告知を受けた」体験談を話されたのを覚えていらっしゃると思います。
5歳の誕生日にお友達の家に呼ばれてその家のお祖母さんに「僕はいくらで買われて来たんだろうね?」という問いかけから始まりその子が受けた衝撃はその後の人生にも大きく影響を及ぼしその風向きは全て養母の先輩に向いたこと、その影響で先輩里親さんは緊張すると震えるという後遺症を現在も持っていらっしゃいます。
そして当時はショックで過食症にもなりかなり健康も害して親子関係は長い間壮絶な時間を費やす事になりました。
お子さんは告知を受けたその翌日から5日間幼稚園を休んで話をしなくなりました。
小学校に上がると家ではお箸も持たずに手づかみでご飯を食べたりお風呂上りでも下着もつけず「パンツ履かせて、シャツ着せて」と言うようになり赤ちゃん返りの症状が出てしまったそうです。
家ではこんな状態なら学校では大変だろうと担任に聞きに行くと学校では全くそれはなく普通に学び小学校生活をしていたそうです。
里親先輩がお子さんに聞いたら「なんで家でそうなるか分からない」、とてもわざとやるわけではないようだったそうですが児童審理士などにも相談しましたがはっきりした答えは出ず心の傷から来るものだけは誰しも理解したそうです。
そして中学校・高校では言葉の暴力や物に当るようになって廊下でお子さんを見ると先輩里親さんは震えが来て止まらず恐怖心だけが残ったそうです。
思春期ですから何でもない事でも反抗したり「こんな家来なければ良かった」「勝手に連れて来やがって」と言われて本当に辛かったそうです。
その言い出しっぺの近所のおばあさんですが何食わぬ顔で平然としており、慌てて養親夫婦はその家に言いに行ったら「あらそう。言わない方が悪いんだよ」と悪ぶれるふうでもなく心の中でぶんなぐってやりたかったと言ってました。
他人から言われてしまう事、これを回避させないといけない。だから言われる前に子供が知る前に夫婦で少しづつ納得する迄何度でも繰り返し説明する事、「生んでくれたお母さんがいる事」、シングルなら母のみ、父がいても戸籍には載っていない認知していない子が大半だし未婚ですから。
いても父親の情報は嫌な思い出ばかりで話す実母は相談の際にも少ない情報です。こちらも「じゃぁ、いい」と逃げられても困るので無理には聞かない。
私はこの経験からこの先輩に「息子がマザーさんが団体を立ち上げるならば子供の会を立ち上げて欲しい」と言っていると言われてぽけっとでは養親の会のたんぽぽを中心にすずらん会・真実告知のシンポジウムと交流の場を設ける事にしました。
スタート当初は少なかったので楽でしたが今なら400組以上、子供は600名を越していますので大所帯で運営を各ブロックの会員達に協力してもらわないと回らない。
本部の職員なんて限られた数で動いていますので会員の皆さんのお一人お一人のご協力とご支援が重要なんですよ。
助けられております。ありがとうございます。
先輩里親さんも裁判所で「早めに隠さず伝えて下さいね」と調査官に言われてそろそろ言わないとと考えていた矢先の出来事だったそうです。
ですから5歳は遅いと思い我が家の告知も3歳になったら言うぞ!と決断していましたが実際は6歳でした。
今日言おう、明日言おうの毎日でした。
娘は感受性が強いので夜ベッドの中で聞いて来たので今だなと思いました。
でも本人は全く養子だとは思っていなくて私の活動を背中で見ていても感じなかったそうです。
大泣きされて翌朝から「本当に生んでないの?」「本当の本当に?本当に事言ってみて」とかしばらく言われましたが「残念だけど生んでない。生んでくれたのは〇〇お母さん」と言いました。
後で大きくなりあの時の話を聞くと「衝撃は大きかった。6歳は遅いよ」と言われました。
そして「隠すのは絶対にダメだよ。親からちゃんと伝えて上げて」と言ってました。
私は何かあれば養子である娘に確認します。経験者ですから養子としての答えが返って来ます。
病気や障害がある子の縁組がなかなか進まない時は「自分が妊娠したら生んで育てるだろう。養子だから断るんだよね」と一人で怒っていたようです。
養子が断られてしまうと同じ養子として怒りを覚えるようです。
私は娘が4歳から場baby 救済をしているので私の背中を見て来ました。私の生きざまは見せて来たしよく理解していると思います。
成人して養子としてなんでも聞けるのは助かります。
子供にとって自身の出自を知らないという事は自分はなぜこの世に誕生したのだろう?という事から始まり生きて行く上で自身のルーツというパズルがが埋まらないと自分という人間が完成されない・・・どんな子でも人間は生まれて来るには大きな意味があるのです。この世に必要だから誕生するのです。
生みの親の口から聞けることはもしかしたら事実ではないかも知れませんがその時、その人が話す事がその時は真実だとこちらとしては受け止めるしかないと思っています。
真実・・・生んでくれたのは誰?育ててくれたのは誰?
生まれる事だけで人間は幸せになる権利をもらって誕生します。でも育てる環境で良くも悪くもなるのでこの養子縁組の世界では知る権利を子供を与えないといけない。
告知は1から10まで教えるのではなく生んでくれた親がいる事・・・を伝える事が1番の重要な事だと思います。
養親が迎えて幸福だと思うのであればその幸福は誰が運んで来ましたか?子供ですよね。その子は誰が生みましたか?実親ですよね?誰が両者を繋げましたか?ぽけっとですよね?
回る縁により1つの輪になります。そしてそれは命の絆に変わります。
何と素晴らしい事でしょう。だからどうぞ告知して下さい。隠さないで下さい。隠したら子供は怒りますよ。幸せな家庭はそこで崩壊します。
その為の交流会であり真実告知のシンポジウムがあります。
告知したらいいやではなく告知がどれだけ重要なのかは子供が大きくなればなるほど理解できます。
小さい時より成人してから、社会人、結婚してから・・・子供は理解します。
子供の口から「生んでくれてありがとう!育ててくれてありがとう!」必ず言ってくれる時が来ます。その為にも真実告知は重要なのです。養子縁組万歳になる為にも・・・・
残念なのは告知をするもしないも親任せという団体や児相でも告知に関しては指導もないししなくていいという児相もあるそうです。それは問題です。
そういう事をしているからどんどん日本の養子縁組は世界から遅れて行くのです。
告知して尚かつ親子の絆は深まります。世界に1つしかない親子になるのですから。
告知をしなかったツケは子供に行きます。その責任は子供が受けるのです。それは絶対に辞めましょう!!我が子の幸せを望むなら。
告知を受けていない養子さんから当会に相談される時があります。皆さん苦しんでいます。養親に聞いて「実子だと言われた方」もいます。どの方も「真実を聞きたい」「どうして自分はこの世に生まれたのか?」
心が傷つき病んでいます。私は絶対に子供には隠してはいけない、秘密にしてはいけない事を何度も経験から感じました。
学校の行事が多くて、習い事が多いので・・・会の行事に出られないから退会しますと言う会員がいました。
どうしてこういう会員に該当を出してしまったんだろうと思います。残念です。後悔します。
子供の将来は告知して始まるものだと思うのですが・・・・考えが軽いなぁと思いました。
将来、子供が実親の事を聞いて来たらどうするつもりなのだろうか???
子供の事を考えていないなぁと。ああ〜残念・残念!
]]>その中でLGBTカップルが縁組が確定したり更に4組・5組目もうちに相談されて現在どちらも研修が進んでおります。
5組になり今年は2回目のLGBT座談会を開催予定です。
当事者たちの集まりで自己紹介から当事者同士のお話があろうかと思い今年も開催する運びとなりました。
5組とも県違いで、皆さんここにいた?と言う感じですぐに仲良くなりいい交流をされています。すでに3組が子供が来ており子育ての悩みから告知の事など細々、楽しそうに話しているようです。
多様な時代の到来にぽけっとはいち早く手を挙げました。そして法律の中で守られて幸福な家族がまた1組と増えています。
今、内密出産が騒がれておりますが来年に秋には東京で2つの赤ちゃんポストがスタートするような話があります。
東京都と管轄の区が試案されている様子です。
熊本の慈恵のようなやり方なのかそして管轄の行政が熊本県とは異なる考えでスタートするのか?
情報を開示しないとなると「遺棄児」扱いになりその子の戸籍が問題になります。
命を救う事で言うと内密もありですが日本は戸籍法がありますのでその法律が内密には厳しいし結果としてその子の戸籍謄本に残るのが可哀想な気がします。
今年は不倫で婚外子の相談が多いのですが勿論、「夫は自分の子供ではないので生まれても戸籍には入れない」と言う方が多くて無戸籍には出来ない事をよく説明します。
嫡子否認の裁判を起こせるのは夫しかいませんがそれでも1回は夫の戸籍に入れて裁判で決まれば子供は妻の戸籍に入ります。
そこまで平均2ヵ月ほどそれも嫌だと言う方もいらっしゃいますが我慢せぃと言います。
大半は妻とはギクシャクしますが上に子供がいる場合はやはりその子供達の為に我慢して元さやに表は収まりますが夫婦間の問題は解決されるかどうかは私達の知るところではありません。
生まれて来る子供には罪がないので大人たちで解決して頂くしかないと言うのがこちらの意見です。
新しい特別養子縁組の法律が出来て様々な事務が増えました。
1年に斡旋責任者の研修や団体の職員の質の向上を高める研修など出て来る事出て来る事、オンデマンドで講義を6講座書く時間以上のものを聞き、しかも1講座に第3章まであり1講座に聞かなければならない時間が3時間前後あり×6×3。
内容は里親制度の内容がほぼほぼで歳時も幼児もいないんですけどと言いながら聞いています。つまらない。
民間斡旋にはあまり必要ではない話ばかりです。
そこの毎回アンケートがありこれが苦痛です。
うtのスタッフは今更こういう研修を受講しなくてもとっくに終わっていてだいぶ先に進んでしまっていますけどぉ。とにかく疲れるぅ。
今の法律は縁組後の養親のサポートもする事になっていますがうちは立ち上げから交流会を実施しているので今更慌てなくても毎年大なり小なり行っておりその中で孤立しないように縁組家族や養子の子たちもどこかで誰かと触れ合う事が出来ています。
ただ、この頃、「子供の習い事が多くなり会の行事に参加出来ないので退会します」と言う人がいて「そんな理由で?」と思います。実親は自分の子供の親がこの会から退会するとは思っていないので産んだ後連絡がつかなかったり裁判に協力しなかった親でも長年たって連絡してくる事もまったくないとは言えないのです。
その時退会していたら団体としては何も教えてあげられないしその後が分からないので言える事がなくなります。
私はそのような理由で退会するのであれば受け付けなければよかったと後悔しています。
誰しも子供が大きくなれば習い事の2つや3つ4つ・・・と多くなるものです。
誰しもが今は通る道です。
また、実親から何年も経過してから子供の様子を聞きたいと連絡がある場合もあります。
そして再会したいと・・・実親は忘れないのです。
何年経過しても生んで別れた時のままなのですよ我が子は。
そういう時に養親が退会していたら・・・・どれだけ実親は悲しむか、習い事が多くて行事に参加出来ないから退会。
実親にはそんな理由で退会したとは言えない。なんでこんな夫婦に該当を出したんだろうと辛いです。
苦労して決断した苦労して縁組迄繋げたのに・・・・と思います。
縁が切れたらおしまいなのになぁと思います。
でもそうしたいのであれば止めません。自己責任で将来問題解決をお願いするだけです。
しかしそれって子供の事を考えていませんよね。
]告知は5年や10年で終わるものではありません。告知したからいいやではない。いいか悪いかは子供が成長したら分かります。
子供の口から出て来ると思います。
だから告知はなが〜い時間をかけて一歩一歩進んで行って欲しいのです。
仲間がいる中で、大きなこの団体の輪っかの中で守られながら・・・・そう思います。
何でも当事者同士は強いんですよ。
また9月16日放送のTBS報道特集ではゴールデンタイムだったせいもあり大きな反響があり行政や裁判所からも「見させて頂きました」と連絡を頂きました。
放送中なのでメールがどんどん入り、「50歳前後の養子希望者」のご夫婦たちばかりでいかに里親登録後待っているのかも分かり「あと5年早ければ良かったのに」というものばかりでした。
なが〜い取材でしたが実親も嫌がらず協力してくれて養子に行った子供の様子が見られて喜んでいました。
年金生活の方からも「寄付をしたい」と暖かい連絡がありました。
そして御多分にもれず「感動した!私にも手伝わせて欲しい」「募集していないか?」と言う連絡が山ほど来ましたがそんな余裕はぽけっとにはありません。
陰ながら応援して下さいと言いたいです。
あの早々でうちの次女・・・わんこも2歳でテレビデビューさせて頂きました。
同じ部屋では撮りたくないと言われてじゃぁ散歩に行こうと言いました。
凄い気の使いようです私が。苦労がここにもあるのですよいつも。
夏に岐阜に引き渡しに行き帰りにホテルの近くの湖で遊覧船にのりました。
気晴らし出来ました!
↑ここに佐藤健が
17番になんと佐藤 健さんが「鶴瓶さんの家族に乾杯の取材」で来て乗ったそうです。
その後1年半この船のこのシートはゴールデンシートとなり予約が殺到したそうです。
そこに私は知らないですわっちまいました。
そっと降りる時に係りの方に教えて頂きました。ラッキー!!
私の膝の上に乗ってパソコンを見てます。
降りてと言っても降りない。
仕事になりましぇん!
いい仕事しろよといわれた感じがする。
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うちの旦那のいる北陸でも40度になり今まで山際で涼しかったのがとても眠れないとエアコンを取り付けたそうです。
「死ぬかと思った」と言ってました。
その暑さもさながら高校野球に更に私は暑くなりました。
地元、土浦日大は娘の母校でもあり家から本当に近く娘が在籍していた高2の時に32年ぶりに甲子園の土を踏むことになり娘が学校から夜行バスで20台か30台かに分散して応援に行って以来の甲子園でした。
あの当時も700人ぐらいが応援に駆け付けました。
当時は大勢で応援に行ったものの1回戦敗退。12対1で大負けして帰りました。
それでも娘は車中泊のバスの中で勝ったら歌うと言う校歌の練習を声高らかに練習させられたそうです。声が枯れるまで・・・
それでこの結果かよ!と思いました。
1日でも真っ黒に日焼けして「甲子園は中に入ると違うんだよ空気が。みんな言ってた。本当に1回は行くといいわあれは」と感激して帰って来ました。
その翌年も連続で行きましたが2年目は学んだのかそれでも8対2ぐらいで負けたのかな・・・・初陣ってなかなか・・・勝つのは難しいですね。
今年は茨城県代表に決まる決勝戦でも霞ヶ浦高校に3対0で負けており9回に逆転して甲子園の切符をつかみました。
霞ヶ浦もこれまた本部から近いのでどちらが勝っても応援はしましたがでもやはり日大に力が入りました。
娘は今年大学を卒業し3歳から言っていた「あたし看護師さんになる!」という夢を実現し駆け出しの看護師1年生なので日大の様子はlineで詳しく報告してやりました。君の母校が頑張ったよと・・・
思ったのはあれぇ頭が坊主ではなく長髪に変わっていたこと、昔は坊主頭でしたがいつから?
今年は他のチームも結構長髪が多くて時代は変わったんだなぁと思いました。
昔から野球は大半坊主頭でしたから。
そんなことよりこの土浦日大、今年は強かった。
しかも大会第1号ホームランまでやってのけて、凄いよぉ。(´;ω;`)ウッ…
1回戦の第1試合なんて引いてそれで負けたらすぐに帰りじゃないか・・・と思いましたが、なんと初陣突破で私は感激。
夢ではないかと人で大騒ぎでした。\(^_^)/
相手は長野県の上田西で8対3で勝ちました。
37年ぶりに2回戦進出だそうです。37年って娘はまだ生まれてなかった。私も若かった。小菅監督よくやった!!
娘も「おぅ〜すご〜い」とlineが帰って来ました。あんたの時とは大違いだわ。12対1。忘れもしない。
2回戦は九州国際大付属でした。
3点勝負の3対0で勝ちました。
私はまぐれ?本当に勝った?嘘じゃない?と横にいる犬に聞きました。
3回戦は千葉県の専大松戸でした3対0・3回表で6対0まで来てしまい負けた?と思ってシュンとしていたら・・・どっこい!裏で5点も返して4回の表で1点返して同点にしました。5回の表に3点追加で9対3のまま終わるかと思いきや8回表に1点追加でなんと10対6でまたまた勝ってしまいました。
もう私は一人でテレビの前で大興奮。やったやった〜〜。拍手かっさい、犬が横で怒って吠えました。うるさいと・・・
あんなに5年前は大負けして帰って来たのに・・・今度は泣けました。娘に「また勝ったわ。まぐれではない感じよ」と。
凄い・凄いの連発でした。
そして初めて4強入りした準決勝戦はなんとあの慶応でした。
試合の始まる前に犬をドックランに早々に預けに行き、ゆっくり試合を楽しむ事にしました。気の毒な子犬ちゃんよ。
犬も私の興奮ぶりにワンワンと騒ぐしこの人何してるの?みたいな目で見ています。気が散る。
1点が取れない土浦日大、いいところまで行くけど1点につながらない・・・2対0で負けましたがもうもう・・感激です。
ここまでよく戦いましたと言ってやりたい。
相手にスクイズを許さない、同じ関東の強豪と互角に渡り合ったと評価されていました。
サラサラ対決は慶応に軍配が上がりました。残念。1点返していたらまた違ったかなぁと私は思いました。
「残念だったね。でもい強くなったね」と娘からlineが来ました。
手を叩いたり握ったりで私の手はひりひり。
ここまで楽しませてくれてありがとう。感動をありがとう。土浦日大と言われるたびに土浦を連呼されなんだか本当に嬉しかったです。人気のないワースト1の県でよくぞここまで勝ち進んでくれました。自分の息子が出ていたわけではないのに・・・
この間、土浦駅では電光掲示板に応援メッセージが現れました。初めて見ました。他でも出ていたのかなぁ。
いつも逼迫する現場を体験しているとたまにはこういうのもいいなぁと思いました。
心が若返りリフレッシュ出来た面持ちです。
若いっていいなぁと。高校野球のいい所は負けると泣くんですよ。
あっちでもこっとでも、球場の砂を袋に詰めながら・・・あれを見るとまた感動しました。私も泣ける。青春だなぁ。
来年もまた戻って来てねぇと。
毎回掲載される日大の新聞記事も私は切り取り保存しました。時々、しんどくなると見て心を癒すようにしています。
ご帰還の際の土浦駅では100人のお迎え隊が出て駅長と市長も出迎えたようです。新聞と茨城版のニュースになっていました。
この日、退院か引き渡しの帰りで偶然同じ電車だったら大騒ぎに私も交じっていたかも。後ろから見ていただろうなと思いました。
追記でその後秋期県大会がありなんと1回戦で敗退したようです。大負けしてました。が〜〜ん!3年生が終わって2年生にバトンタッチしたので弱くなるのは仕方ないのでしょうかね。
慶応も仙台育英も2回戦、3回戦敗退ですから。みんなが来年の甲子園を狙って猛練習しています。
野球なんて好きじゃないけど高校野球は別格です。純粋で素晴らしい。
これからすばし男子バレーボールの応援に入ります。
当時の駅の電光掲示板
当時の駅構内で
チェリーのマスク姿・・・服がひっかかりました
私は野球は関係ないもの
]]>暑さにも関わらず来ること、来ることおちびたちは元気にSOSを発信して来ます。💦
今年の1月から歯止めが利かないベビーラッシュ、なんの恨みがあって次から次へとやってくるのやら。
たまにキャンセルになって喜んでいてもすぐに空きは埋まる・・・状態です。
「ちゃんとお空で聞いてますよ。空きを見つけてすぐに行くぞ・・・」そう言われているような気がします。
わたしは死にそう。時々、曜日も日にちも間違えます。行先と子供を間違えないように要注意!
さて、今年のシンポジウムは例年通りに戻しましたが3年ぶりだし多くの参加者が感じたのは参加者の顔ぶれがガラリと変わった事です。違いますか?
当時子供達も0歳の子は3歳になり駆け回っていましたし小学の高学年になった子たちはつまらなさそうにしていたようですね。
仲良しが欠席だったり周りはみんな幼児や乳児たちばかりですから面白くないね。
まぁ、それは仕方ない、もう大きな子は告知もどんどん進んでいるので次の段階に突入していると思います。
自分を受け入れて実親の事を考えたりだんだん大人の考え方や質問も高度になるでしょう。
養子の良さをこれからじっくり感じて行く時間になると思います。逆に葛藤もあるかな。
それでも養親はどーんと構えていて下さい、何があろうともう親子なんですから。
そう思いながら私は皆さんを見ておりました。
3組のプレゼンはそれぞれ違う内容でしたが2組目の宮城県のティナさんがまだ子供が来て間もないのに実親のSOSのお手伝いを子連れで1日かけて対応して下さったこと、実親の救済をご自身も味わい我が子の親も同じように救われて来た事を実感しそれは十分に子供達にも伝わっておりました。
お兄ちゃんの夢は建築士になり将来お寿司屋さんになる事、私を無料で招待してくれるそうです。今から楽しみです。
その話を丁度、その後に実親から連絡があったので話したらその子の祖父が大工さんでその前は寿司職人だったと聞いて実母も私も大変驚きました。血は争えないねぇ〜と。今は亡くなったそうですが天国で孫が自分と同じ道に進む事を応援してくれているかも知れませんね。
凄く驚き感動しました。
また弟君が「兄に会うためにこの家に来た」と幼いのに言った事を聞くと更に嬉しく養子縁組をこの弟君もちゃんと理解している事に涙が出ました。感動・感激の言葉でしたね。血が繋がっていなくても兄弟で兄が大好き・・・なんだね。兄弟はいいね。
1組目のトトロさんは実母の自宅出産からその後あれまなかなか実母の協力が得られず無戸籍が長く続き地元の市役所も実親側の市役所も何もできずただただ時間が経過しその不安はいかばかりかと思いきや、以外に気にはなるけど返してくれがないなら待つしかないと言う夫の言い分に素晴らしい!この人。普通は「なんでうちだけこんなに進まないのでしょう。何とかしてくれぇ!」と抗議されますよね。
私も自宅出産の大変さを学んだ案件でした。
その自分のルーツを子供が会場で座って聞いていて段々前に行って前方で聞いていたと聞いて子供は更に上を行くと思いました。
たいじんですから子供も、貫禄があります心に。この親にこの子有です。あっぱれ!!
全て理解したかは分かりません。
3組目はジャッキー&ディビットさんでしたが2人目の長男の死で家族が辛く悲しい時間を過ごしたこと、誰にもその心の中は分かりません。当事者でないと理解出来ないと思います。
子供の病気や障害はその当時はそう酷いとは思えないし見えない事が多いのですが意に反して悪化して行く事も命ですからあります。
誰にも生命の事は予想はつきませんし変える事も出来ません。
人間は持って生まれた宿命があります。運命は変える事は出来るが宿命は変えられない・・・そう聞いています。
私は3年と言う命は短いかもしれないけどあの家族の一員として沢山の愛情をもらい精一杯送れた人生だったと思います。
以前、90歳の老人に「長生きでいいですね」と言ったら「何がいいかね。息子や孫にも先立たれ財産は残っても寂しく一人でいる事の方が何より辛く苦しい。長生きなんかするもんじゃない」と言われました。
そうなんです、長さではなく中味なんです。
無責任になるかも知れません実親が育てたらもしかしたら3ヵ月持つかだったかもしれないのが3年も生きられたのです。
もっともっと長く生かさしてやりたかったと言われました。分かります。そうですね。
でも、あの時の親としての接し方は夫婦で立派でした。何度も入退院を繰り返し発作との戦いの中守って頂いた命でした。
だから私達は忘れません。ぽけっとの仲間として天国に行ってもずっと家族や私達ぽけっとを見守っていると思います。
病気や障害を持って誕生した人の魂は早く浄化されて天国で今度は自由に行動し解放感でいっぱいでしょう。
難行苦行のこの娑婆の世界ではなく苦がない世界で思う存分楽しんでいる事でしょう・・・宗教じみてますねこれは。そう個人的に思います。
だから泣いてばかりいても心配をかけるので必ず立ち直って前に進んで欲しい。
先に逝くものは残されたものが幸福であるように思っています。
そうなれるように私達も悪い事をせず人助けを1つでもして人間として成長して行きましょうよ。汚点の人生にはなりたくないですよね誰も。
今回は1部のOB達の講演と益田先生の性教育の講演会は450名の参加者で会場は大盛り上がりでした。
1部で帰る会員が多かったのですが2部の懇親会も始めて参加する会員には驚きのようで感激してました。
去年は子供がいなくて式典に夫婦のみで参加したけど今年は堂々とお子さんを連れて誇らしげに見せに来てくれた皆さん楽しんで頂けましたか。去年と今年のこの差の違いを感じた事でしょう。
2部では1期生のパンパスグラスのお父ちゃんが息子のアイスホッケーの試合の様子や練習風景の雄姿動画を公開してくれました。
今年の冬にNYへ選抜され遠征費用の一部をぽけっと基金から助成させて頂きました。
将来のアスリートへの賭けですね。笑
親の協力と子供の努力の賜物です。先が楽しみです。
今回ブロック対抗の余興はなしで参加数の関係で。内容を変えて始めにmici&hopoさんとこの長男坊pokke君が歌ってくれました。
始めてなのに堂々と最後まで歌いきって関東ブロックのちびっこ有志達もステージに上がり応援してくれて可愛かったこと。
8年前はみんな赤ちゃんだったのにと思うと時間が流れている事を実感します。
最後の締めは昨年の式典で美声を聞かせて下さいましたカルストさんがまた子供達と共に鬼のパンツを生おけで披露して下さいました。
子供達に「鬼のパンツのおじちゃん」と呼ばれてましたね。毎年来て歌わないとダメだねと言いました。子供達みんな楽しそうでした。こちらも昨年は夫婦のみで参加していたのを今年は娘の前で披露していました。パパの声響いていい子守歌になったかな。
最後はビンゴ、本部でも6万円以上の大量の地場産を拠出しましたが今年は商品が少し少な目でした。
またあれほど頼んでいるのに100均商品がかなりあり仕方なしにもらう人のがっかりした顔。
来年は無にお願いしたい。どうして100均を持参するのか、余っていたら別にお知らせ頂きたい。
当たる人、外れる人、勝負に強い人、弱い人、色々です。でも皆さんただでもらえるので嬉しそうでした。
また慈恵病院へのbaby服のカンパもありがとうございました。早速贈らせて頂きました寄付と共に。
集合写真も例年の写真やさんと折り合いがつかず今年から5mの梯子も会で購入し違う写真屋さんがリモコンで撮影してくれました。後日編集して参加者にはダウンロードしてご自身で自由サイズに印刷して頂くことになりました。
500名もの数なので工夫しないと収まりませんがカメラも高感度で高いカメラで綺麗に撮影されていました。
来賓の方々も参加して十分に楽しんで頂いたようで最後まで楽しかったの良かったの連呼でお帰りになりました。
今年も三重ブロックの竹谷さんの松坂牛の商品にさせて頂き地元は小さめサイズの醤油もおまけで出しました。皆さんいかがでしたか?
決算では予想外の−50万でしたが皆さんがたのしかったならいいかなと思いました。
経理も税理士も「楽しんでもらえたらいいよ」と言ってくれたので。
関東ブロックの皆さんありがとう、愛知ブロックの皆さんビンゴ助かりました。
埼玉ブロックの皆さんパトロール隊ありがとうございました。事故もなく終了出来ました。
来年はどんなシンポジウムにしましょうかね。
今年実親さんとの再会は9組でした。
再会されてご家族に幸あれ!
成長したお子さんの姿を見て実親さんは皆さん安堵されておりました。
生んでくれてありがとう! 生まれて来てくれてありがとう!
一部の縁組家族による体験談
前半は450名の参加がありました
今年は皆さん、多くの着席で賑わいました。
今年は新しい写真屋さん。
データーで頂きました。
各自自由に印刷して下さい。綺麗ですよね。
トトロさん
自宅出産は後の手続きが非常に複雑で困難であり実親の協力がないと
無戸籍のまま子供は何も進まず養親の心に負担は大きくなるばかり。
だから少しでも早く受診しましょうね・・・と言う事です。
ティナさん
子供を連れながら陣痛の来てる妊婦さんのサポートと実親の非協力的な態度で
いっぱい嫌な思いをされましたね。
次は生かせます。その為の経験だったと思います。
将来建築家になりお寿司屋さんを開くお兄ちゃん
兄が大好きで兄に会うために来たんだよと言う弟・・・泣けるぅ
素晴らしい兄弟愛・・・感激!!
ジャッキー&ディビッドさん
長男のお話で・・・たとえ先に召されても幸せな3年間で
精一杯生き抜いた人生だったと思います。
親として子供への思慕はこの先何年も経過して行っても変わりなく
子供も家族の幸福を祈って見守っていますよ。
講師の益田先生
愉快な話をいつも聞かせて頂いております。
何でも話せる凄い講師さんです。
次は何がいいでしょう??
シンポの開催を楽しみにして下さった矢満田さん
楽しんで下さいました。
ビンゴの抽選会どんどん前に皆さん来てますね。
いいものがなくなってしまうぅ!
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内密出産で更に多忙となり今回は時間をかけて相談室長(院長夫人)がお相手して下さいました。
私達が思うにこの「内密出産」と言う言葉は「親に秘密にする・周りの誰にも秘密にする」と言う実親たちの強い意思から来ていると思いますがぽけっとにも多くの「内密にしたい」と言う言葉を使って相談される方がいて内密出産になると誰にどのようなリスクが来るのかを詳しく説明します。
担当者の人のみ事実を知らせ公表しない、生まれた子供は遺棄児扱いとなり戸籍はその生まれた場所になり行政と児童相談所・警察介入となります。
今は慈恵さんは命名は市長では可哀想なので実親につけさせるようですが戸籍謄本が慈恵病院の住所ばかりが増えて行っております。
何より生まれた赤ちゃんがすぐに病院から退院して養親宅ではなく児童相談所経由で乳児院に行くという事です。
後で気が変わって引き取れればいいですがそうでない場合は里親委託で里親と里子でスタートします。
里親さんがすぐに特別養子縁組にしてくれればいいですがまず里子として委託料を頂いて養育して行くようです。
その期間がどのくらいなのか・・・民間ならばすぐに新しい家庭に行き、幸福な人生がスタートして行くのになぁ。
慈恵病院はクリスチャンの病院ですから「神様が守って下さいます」と聞くと優しい気持ちになります。
でも相談から生んで育てるにしても内密にするにも特別養子縁組にするにも膨大な時間と張りつめた緊張感が担当するスタッフにはかかります。それはうちも同じです。
ぽけっとでは「内密の内容」と子供への負担を懇々と説明すると「そうだったのですか。知らなかった」と言い出し民間の特別養子縁組にしようねと促します。
実親たちは「自分はいいから生まれて来る子供には幸せになって欲しいから」と言います。
だったら特別養子で行こうよ、内密で戸籍謄本も遺棄児扱いの記載になりその当時は一時でも遺棄児だったとは言いたくないし誰も知らせたくない。
何よりせっかく生まれて来たのですから幸福な人生に送り出してやりたいじゃないですか。
それが一時的でもそれ以上でも施設は絶対に入れさせたくない。
そこは慈恵さんも同じなのです。
親・兄弟・周りに秘密にしたいなら内密でなくても特別養子縁組でもある程度思い通りにはなるから。
生まれて来た赤ちゃんを施設児にしないで欲しい。
そう強く思いました。
慈恵病院は本当によく対応されています。
費用も取れないものは取れないと自腹で、内密出産は保険証などの公の提示が出来ないので完全に自費払いですがそれが払えるならば養子には出さない。だからその場合、慈恵病院が全額負担しております。(新聞では1件90万とか)昨年9件でさぁ合計していくら?凄い額負担されておりますよね。
それが善意の寄付で賄えるわけがない。
今年のシンポジウムでは慈恵病院に新生児用のベビー服や下着を確保するかその費用をぽけっとがカンパする事にしております。
各家庭で使用していないベビー服や下着、いただきものなどありましたら当日持参して下さるか本部にお送り下さい。
何とか内密出産ではなく特別養子縁組で慈恵病院に依頼して欲しいと願うばかりです。
生まれて来る赤ちゃん達は新しい父と母を心から待っています。
そして養親もまた心からその日が来るのを待っています。
子犬が子犬をおんぶしてます
子供は宝もの、大事大事!
今日も仕事が終わった。
あたちもお疲れよ。
お客さんが多くてお仕事で吠えまくったから
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令和5年の1月半ばから急に忙しくなりあれよあれよという間に1月の半月で7人の相談が入り正月休みどころではなくなりました。
今年はどんな年になるだろうか?と考えている矢先に夜遅くSOSが入り陣痛が来ており間隔もついているので救急車を呼ぶように言いました。
その深夜3時過ぎに「無事に病院で誕生した」連絡がありほっとしましたが「今年はお正月始めに緊急搬送の連絡なので多忙な年になるだろうな?」と言う予測通り大当たり。
その後も続々相談が入り2月になっても3月に入っても忙しさは変わらずたまに「キャンセルしてもいいですか?」と連絡がありますが「どうどぞどうぞ、しっかり育てて下さいね。もし先行き無理そうならばまたご相談下さい」と言って「あ〜あ良かった。少し楽になるか」とぬか喜びしていたらすぐに「すみませんがもうすぐ生まれるのですが育てて行けないので助けて下さい」と連絡が入り、やっとキャンセルになったのに2件も続けて入って挽回してしました。あちゃ〜〜😢
キャンセルになって喜んでいる団体もいないもんだとスタッフにいわれて、あまり大きな声で言わない方がいいと思いました。
だってお空でおちび達が「あっ、ここ空いた!」とすぐに埋まってしまう・・・そんな気がします。
よく聞いているんですよbabyたちは。笑
引き渡しで疲れていても宿泊しないで日帰りで帰る事も多く、疲れきって帰宅しますが次が待っているので仕方ない。
時間がない案件や複雑な事情がある案件など頭も疲れます。
でもやるしかないなと思います。
2月に娘の国試がありやっと試験が終わり安堵していたら、「これが最後と」卒業旅行で沖縄に5日間も行ったり帰ったと思ったら生まれ故郷の長崎県に行ったり「出世払い」のつけで好き放題遊んでくれました。
大学も無事に卒業し国試も合格してとにかく22年間の子育てが終了しました。なが〜い支払いもこれで完了です。
私立の看護大の授業料とそれにかかる費用の4年間と本部事務局と設立シェルターの設立まで約10年間お金が出る事出る事、どんだけ私は養子縁組すればいいのだろうと思いました。
稼ぐではなく毎月のお給料のやりくりと少ない預金と相談しながらなんとかなりました。
1人でこれですからね今は、子供にお金がかかる時代です。
時代が違うのは重々承知ですがお金はなかなか貯まりませんが出るのは早い、戻って来ない。
それでも子供の夢は何とか叶いました。
3月24日の午後の合格発表当日から家電を見に行き、適当に購入し配達も31日1件のみ空いておりいやおうなしに入れました。
4月1日から大学病院に入社し配属が決まります。
その1週間に引っ越しの準備ですが何もしていないのでこの活動の多忙の中、ろくに話し合いも出来ず持って行くもののみ運びました。引っ越し便も勿論間に合わず、私の車2台で3日間で終えましたがこれでいいのかと思いました。
時間もなく毎年、みんな合格通知をもらってから動くの?自信があればもっと早く準備するでしょうがこういうのって開けてみないと分かりませんよね。万一ダメだったらの事を考えたら私は手をつけられなかった。
しかし結果後は超多忙となり死ぬかと思った。
住民票を県外に移すと言われた時は急に寂しくなりました。
考えたらそうした方がいいのになぜか離れる感が強くなり自分で手続きに行かせましたが本当に単純に寂しいです。
遠くに行くわけではないけど今まで家族の一員としていたのが抜けるとはこういう感じなのねと思いました。
実親の家族には勝手に帰って来ないから住民票を抜いて抹消してしまうケースがありますが私はとても出来ないと思いました。
私も子離れしないといけませんね。
そしてラッシュはまだ止まらない。
とうとう4月迄継続されました。
この4か月間、本当に沢山の赤ちゃんがやって来ました。
600名もあと少し、誰が600番になるのか??
難しい案件もあり悩みますがとにかく全てが学びだと思い解決できるようにスタッフと考えて進めて行きます。
とうとう、自分の5月5日の誕生を迎えてしまい嬉しくない年になりましたが子供の日に生まれた事を天命だと思い、使命を果たすつもりです。
おちびたちよお手柔らかに頼む!私は若くはないのだから・・・
娘は3歳の時に「あたし、看護師さんになる」といきなりいい始めそのまま22歳まで一度もその夢は変わらずこのたび実現しました。私の活動を4歳から見て来ましたが私に対しての言い分もぶちかます事もありますが確実に大人になり私の子供として背中を見て育ってくれました。
たいした親ではないのに私の生き方を尊重してくれています。それは本当に嬉しいです。
体が小さくそれはDNAが違うので親でもどうする事も出来ず乗り越えて行くしかないと言い聞かせていますが小児科に勤務して「新生児も入院してくるんだよ」と言ってます。
子供達はみんな可愛いと言っており、NICUから出て来た子や熱で入院した子など話してくれます。
「みんな泣いてるの」と言うのでなんで?と聞くと「面会時間は1時間だからお母さんが帰るとみんな泣くんだよ悲しくて」と聞いて健康が1番だなとこんな時に納得している自分がいます。
本来産科かNICUの小児科を希望しておりどちらも人気なのでなかなか配属は厳しいと言われたそうですが小児科に配属されて良かったと私が思いました。
娘は病気や障害児に関して私以上に寛大でよく考えているところがあるのでそれは認めています。
今年は役員始めスタッフも大幅に交代になりました。
会もすでに13年目に入り、マンネリと勝負しながら進めるようになります。
コロナも落ち着きだしこの3年間でだいぶ人の考え方や生き方も変わったようです。
時間に押しつぶされずに寛容に考えこの活動が広くながく継続されるように無理をせず同じ気持ちで進める同志たちと歩もうと思います。
自分の誕生日を迎えた深夜に7年前に当会に取材に来た高校生が地元の大学病院で大学院生になり助産師を希望して研修で来た時に、緊急オペで私が付き添いで待機しているところに出っくわし声はかけられなかったですが当時を思い心に思う事があったとのこと、うちに取材に来てこの道に進み今があることを知らせてくれました。
地元ですからまたどこかの病院で(多分研修の大学病院)今度は助産師として対面するかもしれないと思うと嬉しくて興奮しました。
私が医療関係者にお願いしたいこと、言いたいことをどうか少しづつ伝えて行って欲しいと思いました。
まさか、7年後に地元の大学病院で出会うとは思いませんでした。
その日、3人で入り口に立っており、入室の許可待ちをされており「ご苦労様です」と挨拶をしましたがそのうちの一人だったとは。
地元も捨てたもんじゃないなと思いました。
どこの光る岩石が落ちているか分かりませんね。ぜひともぽけっとで関わった人達が子供を含め輝いて欲しいと5月5日に思いました。私は光も鈍く薄暗くなってしまいましたので。。。とほほほ。
毎年高価なお花をありがとうございます
関東ブロック・千葉ブロックの有志一同さん そして皆さんに感謝です。
毎年この日を忘れずにありがとうございます。
はなびよりさんもありがとう!
親分可愛いのをありがとう!
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年末のご挨拶も間に合わず新年を迎えてしまいました。申し訳ございません。
今年は12月20日までに予定の出産はこなしていましたがキャンセルも2件続き、今年は師走は実親も母子寮にはいないしギリギリに退院した赤ちゃんもいないので今年は何とか年末年始はゆっくり過ごせるかなと思いました。やったー!
そしたらいきなり2件の相談が入り、緊急のまま成立して2人の実親たちも気持ちの変化もなく「出します」と連絡がありしかも年内中にお願いしたいと言う事で、1件はクリスマスで後の1件は28日の御用納めに引き渡しとなりました。
2件とも関西と岡山でしたのでお迎えも遠くてしかも新幹線は平日でも込み合い戻って来た感がありました。
とにかく年内に終了したいと思い、何もしないままお迎えと引き渡しになりました。
2件キャンセルになり喜んでいたらすぐに挽回してしまい、おちびたちも新しい家で新年を迎えたいのだなぁと思いました。
ギリギリで間に合ったご夫婦にはおめでとうを、もう新年はスタートしましたのでこれからのご夫婦はお待ち下さい。
でも何もできないまま年が明けて、あ〜あ終わったと思ったら山ほど年賀状が届きこれから返事を出します。
うちの二女も5日で2歳になりますがもうあとばかり追いかけて来て可愛いですが大腸炎を起こしたりと目が離せずこうして井戸端更新しているとこたつで私の横にぺったりくっついて寝ています。
忙しくなるとまたスタッフとお留守番になるので仕方ないのですが。
今年はいくつかの小さな行事を実行しようと考えています。
慈恵の内密出産のお手伝いも入りそうな気配がしますので一度慈恵に表敬訪問に伺う予定です。
今年もまた頑張りますので皆さんの暖かいご支援ご協力をよろしくお願いします。
↓
これは11月の出来事です。
毎度の事で忙しい・忙しいとこだまのように響いていたら11月も忙しかった。
というか明日、23日からです。愛媛・広島・秋田・・・と遠方ばかり飛び交う事になりました。
緊急の飛び込みもありこれが多忙の極みとなりましたが赤ちゃんは元気に誕生してくれたようでそれは命を守れて良かった!
実母には最後は「救急車を呼ぶんだよ」と言う最後の一言だけはちゃんと聞いていたようで実行してくれました。 ^^)
「自宅出産だけは避けてよぉ〜」と何度もボケ老人のように言ったのが効いたか。
しかし何にもしていないので明日、迎えに行ってからが大変です。
私もこの気圧の影響で少し気分が悪くてふらつきます。
スタッフも同じで2人で三半規管が弱いので疲れがたまると起こします。薬もって睡眠取って・・・でも頭の中は色々頭の痛い事ばかりあり休まれません。でも行くぞ〜ぉ、子供も待っているし親も待っているのですから。
簡単に養親宅に行くのではない事を皆さんもよくよく考えて下さいね。
どんだけ気苦労があり気使いがありまとまるまで本当に気が抜けないのですから・・・
この時は愛媛県にお迎えに行ったのですが何もしていない事から、仮の外出で出生届けに同行したのですが上の子もおりその子の分の手続きもお願いしますと行政もここぞとばかりにあっちへ行け、こっちに行けとなんと終わるまでに4時間もかかりました。
眠くて居眠りしてしまいました。「お疲れのところすみません」じゃないつうの。
何か所も行かされてまぁ愛媛県に記憶に残る救済が出来ました。
その後は帰ってすぐに秋田県の退院と広島県の退院と11月は続きました。
どうしてここに来て遠方ばかり来たのか???頼むよbabyたち、マザーはヘロヘロです。
さてこのたび当会に登録されていましたLGBTのご夫婦がめでたく裁判が終了し入籍致しました。ご本人にも井戸端で公表していいと同意を頂いたのでここでお伝えします。
私は昨今、ジェンダー等の話題が大きくなり海外とはまた養子縁組と同じように日本はこの分野も遅れていると感じています。
でも法律で性別変更をし裁判所で認められれば男女として婚姻も出来る・・・そして特別養子縁組も可能になったという事が分かり「じゃぁ〜やろうじゃないか」と思いましたがここまでなかなか相談数も若干数でしかもメール相談のみ場合もあり説明会までたどりつかず面接まで過去に1件でした。
しかしこのコロナ禍において数件の相談が入りその中で1件が進んでこのたび入籍の運びとなりました。
勿論、実親さんにもこの件はお伝えし何ら問題ないと同意して下さいました。
ここまで来るのにいくつもの試練とご苦労があったようです。
「最後は孤独死かな」とも考えた時期もあるそうですがそれが結婚もしその先の子供を迎える事も出来、一人の親になりました。
妊活してダメで養子に向かうのとはまた別でLGBTカップルでもAIDなどの選択肢もあるでしょうがどちらにせよ血のつながりを諦めたご夫婦に残されたのがこの特別養子縁組だけです。
このケースもいくつもの団体に断られて最後にうちに来たようですが「待ってました」と私は言いました。
勿論、LGBTに関する知識もだれも乏しくて「でも法律が出来たのだからやれる」と言うのだけで受け付けしました。
ご本人からもお話を聞いて教えて頂く事も多く、大人しくて静かに話されますが引き渡しで出迎えてくれた駅で子供を見て号泣した姿はいつもより感動しました。
どの方も子供との初めての対面は感動ですね。普段絶対に泣かない男性陣も「俺ダメだぁ・・・泣けて来た」と言う言葉をよく耳にします。心の奥底から感動しているからこそ起こる感情ですよね。
誰しもこの世に生を受け人生が始まりますが人生は何が起きるか分からない、苦の娑婆ともいわれいい事もあり悪い事もありで自分がどう考えて問題を解決して生きて行くのかでその人の人生は変わりますし変えられます。
また関わる人の影響でも悪くもなりよくもなります。
そして苦労の中で培ったもの、努力はその人を決して裏切らない、肥やしになり力になり人間として成長させてくれます。
見ているものや関わりものへも期待と感動を与えてくれます。
日本ではまだLGBTに関しては少数派ですが時代が流れて来ていると思います。
古い考えも時には大事ですがいつまでも固執していると取り残されてしまいます。
ですから私は昨年LGBTのご夫婦に子供を託しまた無戸籍の子供も2人誕生しましたが無事に入籍し親の戸籍に入り次は日本国籍を取得する段階に入っております。
法律があり1つ1つ段階を踏んで普通に幸福になれるのであればぽけっととしてお手伝いをしたいと思います。
他の団体はまだそこまでの考えはないようですが無戸籍をやれてLGBTをやれない事はないので理解する人が増えるのが1番の早道だと思います。
メリー クリスマス
ボンボン付きのフードです。嫌だなぁこれ
お正月なので半纏来てみました!
夕日を見ながら、明日も散歩いけるかなぁ
]]>8月の出産が遅れて9月にずれ込んだケースから始まり次々相談が入り出し、飛び込み出産から月齢児の相談も紛れ込み「これはなんだ?何が起きている?」と叫びたい気持ちになりました。
その中でも茨城県の産科で個人的に「特別養子縁組を良し」と思わない医師がおり始めてのケースという事で呼びつけらスタッフが質問されましたが「なぜ紹介状を書かなくてはいけないのか」「どんな部屋でも貸せない」という手厳しい中で養子縁組で生んでいないのに1ヶ月検診の出来る病院を探す際にスムーズに行く方法が出産した病院の紹介状です。
だいぶ前はそういう事で断られて養親が苦労している事から事前に事情を説明して紹介状をお願いするのですがたまに断られます。
「どうして書いてやらないのかな、子供の健康を願うなら紹介状なんて何枚でも書けるのに」という医師も多くいらっしゃいます。
今後の話屋書類の説明があるので隅っこでもいいので誰か立ち会って頂いても構わないので部屋を貸して欲しい」と懇願してもNO。
こういう方をいつまでも相手にしていられないので外でやる事にしますが周りに何もない時が大変困ります。
また紹介状のない事でなかなか検診の病院が見つからないと言う話も聞きます。
最悪は事情を説明し大きな病院に駆け込むのがいいでしょう。
またある市立病院では児相が介入するなら協力するけど民間だけなら協力は出来ないと言われて仕方なしに保健師さんに実親さんが相談し違う病院を探すケースも発生しました。
児相のどこがいいと言うのか、ただ児相に相談してと言うばかり。
やった事がないだけで?何も特殊な事をお願いしているわけではないのですがね・・・普通に出産させて母子共に退院し子供だけは1ヶ月検診の紹介状を書いて頂ければ・・・それもダメなら何もして頂かなくて退院させてもらえば外で私達は続きをするのに何がいけないのでしょうかね。気分悪いです。
地元でこういうケースが発生すると非常にがっかりします。
でも悪い事ばかりではなく昨日は、県北の行政から「里子に出したいという妊婦さんが来ておりすでに児相に相談したらBabyぽけっとさんならちゃんと対応してくれる」と言われたそうです。
この行政は年間多くはありませんがたまに管轄の実親が来て妊娠・出産まで関わるし出生届も同行して出すので覚えているようです。
茨城県でさえ「斡旋団体の一覧表」を渡す時もあり何のためにぽけっとが存在しているのか?と悲しくなる時があります。
でも諦めずに回数を重ねて行くのが大事と思っていたので行政から児相以外に名指しで紹介して頂けるのは非常に嬉しいです。
他県の方がよくぽけっとをご存じですよ。笑
時に子供の相談には波があります。
大きな波の時はあれよあれよと増えます。
他の団体で断られてぽけっとに来るケースも多くあります。
そういう時は嬉しいですね。「じゃぁ〜やってやろうか!」と力が入ります。
それがこの9月に集中したから大変。
本部スタッフも書類を間違えないように注意してもらい頭の中でどこで誰が出産していつ退院で引き渡しはどこの誰で何県にどう行くのか、ベビー服も間違わないように名前を書いて順番に置いてと・・・本当に大変なんです。
9月の動向・・・
6日に仙台にて退院・お迎え、7日京都で退院・お迎え、9日に苫小牧にて母子の面会、10日秋田県に引き渡し、13日苫小牧子供のお迎え、16日秋田県に引き渡し、16日石川県に引き渡し、18日説明会、20日栃木県にて退院・お迎え、22日仙台にて退院・お迎え、24日茨城県に引き渡し、26日静岡県で退院・お迎え、29日山形県に引き渡し・・・・すげぇ!
その間に本部で事務や電話相談やってんのよ。
とにかく忙しいの一言。気が変わった連絡も入り、費用が発生しているとちゃんと返してくれるのかが問題です。まず返ってこない。
大量に生まれるのでキャンセルは仕方ないと諦め次に行くように心の締め直しです。
養親の決定は順番ではありません。
実母の状況で何度も変わったり赤ちゃんの健康状態でも同じです。
経緯を話して養親がう〜〜んとなりいい回答がもらえない場合もあり即、切り替えます。
後で返事するはまず無理ですからそれは相手になりません。
一刻を争い退院の準備にかかるので、説明会から面接の時から凄くいい印象が残っているご夫婦は他の多くのスタッフも同じ感想です。またう〜〜ん、大丈夫この夫婦?と感じる時もスタッフたちも「心配ですよね」と暗雲が漂います。
待機の方の焦る気持ちも分かりますがぽけっとに相談したから該当がこんなに早いのですよ。
年間10件以下の団体なら「何年も待ちます」とか4、5年待っても来ないでしょう的な児相と変わらない言い方もされます。
キャンセルになってもすぐに代わる赤ちゃんがいる事はそうそうありません。こういう団体はいくらでもあります。
待機になり多少待っても1年はまずあまりありません。
その時の波や待機になるのが遅い場合は仕方ないでしょう。
焦ってブロック長に泣きつかれてもそれは困ります。
とにかく心変わりのない実親さんが継続して出産まで子持ちを持ち応えて頂けるように私達も努力しますがこればかりは誰もどうしようもない。
私一人で決定しているわけではなく関係者で話し合いながら決定しています。
いつも思いますが何も知らないで気にせず交流会に参加し先輩家族と楽しそうに話したり子供と遊んだり全然該当がいつかなんて気にせずその日を待っている方の方が私達は気が楽です。
気持ちはみんな同じで理解できます。
でも先に来たご夫婦に焼きもちを焼いたりすねて泣いてみたり・・・こちらが泣きたいです。
私達はその日が来るように努力している訳ですから。何とかご理解下さい。
私もスタッフも元気でそして老体に鞭をうちながらえんやこ〜らとご縁の糸をたぐりよせている訳ですよ。
この苦労をご理解頂けない方もいるのが残念です。本当に大変なんですよこのbaby救済って。
分かるかなぁ?分かんねぇだろうな?と言う親も増えて悲しい。
最後に皆さんは子供が簡単に来たと思うかも知れませんが実親の相談から無事な出産まで実親に沿って対応するのがどれだけきついか、揺れている場合や慎重になり過ぎている親、男性に依存しており方向が見えない親、精神疾患があり言葉も選んで話さないといけない親、病院が非常に非協力的な場合のこちらのイライラのコントロール・・・とか、とにかく関わるスタッフはそれはそれは大変なんですよ。
そのもろもろをお察し下さい。
引き渡しで舞い上がり聞いた事を何も覚えていないとかあれだけ注意したのに抜けてしまっているとか更に疲労が増す事のないように。だから該当マニュアルがどんどん項目が増えてそれで逆に読まない・・・これはもっと悲しいでしゅ。よ。(´;ω;`)ウッ…
苫小牧駅の足湯にありました
あたちも食後の歯磨きよ!
うちの二女、1歳10か月、いたづら激しい。
食ったら寝るだぁ
秋田県のマロンケーキさんのパパさんの力作 非常に甘く旨かったぁ〜
3年かけてやっとこんな素晴らしいシャインマスカットが出来ました!
]]>早朝より関東ブロック及び近隣の東京・埼玉・千葉・東京・神奈川県の会員の皆様お手伝い協力誠にありがとうございました。
ながいながい1日でしたね。
私は式典が終わっても赤ちゃんの退院と引き渡しの連続で忙しくて7月の10日あたりでやっと落ち着きそこで周年が終了した感じがしました。
会う人みんなに「まだ周年は終わっていないの」と言ってました。
沢山の来賓の方々も「楽しかった」「素晴らしい!」「感動した!」の連呼で本当に無事に終了出来た事に感謝します。
始めての会場でしかも市民会館・・・素人の計画・考えで式典は終わりましたが大成功だと思います。細かい反省点はありますが。
素人が自分たちで計画し準備し遂行したのですから素晴らしいしかないですよ。
パトロール隊・見守り隊の方々も沢山集まって頂き本当にありがとうございました。お父さん方、助かりましたよ。
今年は警備員も入れたので事故もなくスムーズに進行し、いつも集合写真では手こずりますが今回は席につけたので短時間で撮影が終わり予定通りに進みこれも良かったです。
石井氏と最前列で話したのですが彼のあの雰囲気も私は好きです。沢山のファンがおり地元でも石井氏の本に私の名前が登場して驚いたと声をかけられたことも何度かあります。
石井さんは凄いなぁと思いました。原稿なしでなんでも話せるし何時間でもいけるそうです。
そして石井さんは「楽しかったよ式典。こんな楽しいのなら毎年来てもいい。来年も参加していい?」とスタッフに聞いたそうです。
また矢満田夫妻も「楽しかった。参加出来て良かった」と感激して下さいました。
矢満田さんは少し小さくなられたかな。久しぶりに萬屋さんと子弟の仲のお二人は会われたそうです。
その養子介の巨匠が二人ぽけっとにはいらっしゃいますので心強いですね。
石井さんもあの2人がいるのは凄いと思うよと言っていたようです。
司会のきよんさんは前日のリハーサルから万感募るものがあったそうで開会開始と同時に感無量になったようで涙声でした。
みなさん12年・・・色々ありましたよね?ない人はない。
いい司会ぶりでした。さすがです!いいんですよ素人なんですから。最高でした。
ヒルズさんのお話は・・・前会の会員さんで古株ですがご主人にはぽけっとの立ち上げ当初から監事をお願いしてきました。
大人しい方でビールのお好きな人なんですよ。いつもスーツ姿でジェントルマンなんです。早い旅立ちに私達も驚きました。
娘と同じ長崎県の病院からお子さんを迎えているので親近感もあります。
6年間に9回の身内のお葬式でご主人側もヒルズさん側も厚い身内はいなくなり、養子縁組をして本当に良かったと感じたそうです。そうですこういう悲しい事があっても子供がいたら悲しいけど乗り越えられるんですよ。
ヒルズさんはたった一人にならずに良かったと思います。
関西のたーとなーさんのなーさん、この上ない肝っ玉母さん。
北陸にも一人いますがこちらは関西の肝っ玉母さん、ご主人の病では死の淵を何度も往復しています。
だからどこからでもかかってこい状態になるのでしょうが、寛大で心が深く暖かいです。
そこまで口には出して言えない体験があったことでしょうがそこを乗り越えたから今は宝ものが3個あるんですよ。
神様からのプレゼント・・・・いつもありがとうね。
とんずけさんは上の子の言動がいつも愉快で考えさせられます。
胎内記憶の強い子で口から出た言葉は見て来たの?と事実そのものです。
この子いう事はよく聞いておきたいものです。
余興ではオペラを披露して下さいましたカルストさん、生のピアノ演奏の(kenken&)miporinさん、目の前で聞くとブラボーと言いたくなりました。
鬼のパンツは子供たちもステージで踊ってくれてあたちも踊りたかったと泣いていた子を見ました。楽しかったよね。
こちらのお願いでパプリカを歌って頂きオペラとは合わないのに申し訳ない。でも聞けて良かった。
リハから感動しました。
おーちゃん楽団さんの空手の型もかっこ良かったよ。
顔が違う、真剣で迫力がありました。「みんなに受けるものではないのでそれでもいいですか」と聞かれましたがよかったです。
奥さんとお子さんもパパの晴れ姿に感動したよね。
のりせんさんのボディビルは久々の登場で予想通り会場は大興奮。
きめてきましたねのりせんパパ。
MCの奥さんの声もまた合うんですよ。「きれてるぅ」「かっこいいよ」の連発ですね。
昨年の暮れ近くに交渉した際「やってと言われてそう簡単に出来るものではない。でもマザーの頼みならやりましょう。期待して下さい」と言って頂き当日まで半年間体重制限に水分調整と筋トレと申し訳ありませんでした。
立派なお体を見せて頂き会場内は賑わいました。
顧問の萬屋さんもスタンディングオベーションだったしATTI JAPANの榊原さんも興奮して触りまくってました。
目の病気で悩まされている奥さんですが通路で何度もMCの練習をされているのを私は見ました。
娘さんももう恥ずかしい年ごろなのにお母さんの助けをしてくれてありがとう。
会場を回って行ったからさぁ大変!更に興奮した皆さん、楽しかったですね。
大トリは埼玉県のよさこい集団夏舞徒の舞でしたがお化粧から衣装から素晴らしい・・・大迫力の連続でした。
ちょうど、あの会場のステージの板は足に合っていたらしく踊り安かったそうです。
残念なのはライブ配信した際、ステージから出る音は撮影している入口の場所では遠くてよく拾えず聞けなかったと思います。
会場ではよく聞こえていましいたが、ライブ配信の難しいところです。検討の余地がありますね。
ここまでながい事かかりましたが会員一同が協力して何度も打ち合わせをしながらコロナの感染者数を横目にしながら1つになりました。
また終了後にどんどん数は上がって行きましたがいい時に開催できたなと思いました。
事前に、関東ブロック長さんが特大のお守りを神社で迎えて下さり、私達本部からも鹿島神宮に祈願して来ました。
始めての行いですから心配します。皆さんの祈りとそういうお守りもあったからこそ成功したのだと思います。
エンディングの際に来賓の方々から「本当にぽけっとは素晴らしい!」「楽しかったわ」「出席出来て本当に幸せです」「全てに感動した」という絶賛のお褒めを頂き嬉しかったです。
印象的だったのは念願だった熊本の慈恵病院の相談員さんを招待してお二人とも「絶対に来たいと思っていたので本当に嬉しかったです。凄いですね、学ばせて頂きました。見るものすべてに感動しました。本当は院長夫妻が参加したかったのですよ」と興奮気味で話していてこのまま慈恵病院に伝わるだろうなと思いました。遠方からよく参加して下さいました。
またなんといっても顧問の萬屋さんが飛び跳ねながら「凄いよぉ、よくやったわ。楽しかったよ。感激した!」こちらも興奮しておりATTIジャパンの榊原さんは感動して泣いているし式典の成功を感じるさせる場面でした。
今回公益財団法人から報奨金を頂きそれを式典の方にも使わせて頂き、三重県のにゃにゃんこさんにもご協力を頂き「ギフトで選ぶ松坂牛」と茨城県の老舗の柴沼醤油を記念品として提供しましたが皆さんお楽しみ頂けましたでしょうか。
何から何まで手作りで素人が最後まで考えて完成させた式典ですが本当に無事に終わり何よりでした。
沢山の思い出が出来た事とと思います。
関わった全ての方々に心から感謝を申し上げます。
すでに来年のシンポジウムに向かいスタートしており15周年記念にむけても同じくスタートしております。
また皆さんの暖かいご支援とご協力によろしくお願いしたいと思います。
慈恵病院 故蓮田太二理事長
映画「朝が来る」のひとこま
特大のお守り 縦になりません。
チェリーとそう変わりない大きなお守りです
今年発注した見守り隊とパトロール隊のビブス
お父さん方ご協力ありがとうございました。
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「NPO法人Bapy ぽけっと」を取材!願いを実現するためのサポートとは
【目次】
願いを実現するためのサポート
孤立しない環境づくりを
予備軍研修会を実施予定
▼テラコヤプラスURL
https://terakoya.ameba.jp/
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お天気も良かったり急な雨降りもあったりで体調も崩されていませんか。
私は近い親族の葬儀が2件も続きあまりにも急なお別れとその家の跡取り問題もありで色々考えさせられました。
健康が1番なんて今更思っています。
そんな中、やはり実親さんのSOSは飛び込んで来ております。
新しい法律が出来て施行になり3年が経過しましたが養親・実親の相談は今までと少し違い減少しています。
決してうちだけ減っているのではなく全体に減っていると思います。
その代り児童相談所の里親登録は増加していると思われます。
政府が児童相談所始め各自治体・行政などに母子支援の強化・妊産婦への支援強化などが始まった背景があると思います。
そういう女性や母子支援団体もあちらこちらで立ち上がり助産師さんたちのNPO団体も耳にします。
特別養子縁組は最終選択肢であり最後の妊婦さんの砦でもあります。
私は育てられない場合には特別養子縁組がありますよと言う考えで当会に相談され、特にシェルターに移動希望の妊婦さんにはそこで決断されて来ますので特別養子縁組で進行して事をお話しています。
ネット社会ですから各自皆さんよく調べていますね。
気が変わればそこで終わりにしますしその後不安が残ればその行政につなぐようにしております。
以前のようにいつも40組以上の待機がいるわけではないですがそれでも養親希望者も切れ目なく入ります。
予備軍研修会を開催するとすぐに申し込みされるご夫婦も必ず数組おります。
新潟開催の時は全員と言っていいくらい申し込みされました。
遠方でもぽけっとで迎えたいというご夫婦は必ずいらっしゃいます。
時々「関東ではいつ開催しますか?」「近くなったら教えて下さい」という悠長な連絡が入りますが西側の家族が少なく東側の実親や養親が断然多い為、ここしばらく関東圏での予備軍研修会は控えさせて頂いております。
たとえ遠方でもぽけっとで迎えたい方もいらっしゃいますのでそういう方はどんなに遠方でも参加されます。
交通を気にしている場合じゃないだろうと思う時があり「関東圏に決まったら教えて下さい」とか言われると辟易します。
どんなに遠くても構わないという方のほうが嬉しいですよね。
こんなコロナ禍でも北海道からも九州からも参加されています。感心します。
さて今週土曜日、いよいよ12周年記念式典が開催されますが準備も着実に進んでおり、記念品の搬入やら資料の用意や警備員の調整など何とかなりました。
当日は天気が気になりますが事故のないように(保険には入りました)スムーズに進行し皆さんに喜んで頂けるように終わるといいなぁと思っています。
余興の方も楽しんで頂けるように出演者さんたちも力を入れて練習を重ねて下さいっております。期待して下さいとの事です。
お土産も2品用意し三重県のにゃんにゃんこさん(88期生)のお店の松坂牛など4点のお品から選んで頂きます。
あとは茨城県の老舗のお醤油のセットです。一応、団体は茨城県にあるので茨城県の地場産も1点入れました。
来賓の方もお忙しい中遠方からいらっしゃって本当にありがたいです。
関東ブロックの会員さんや関東圏の会員さん達にも応援頂き成功させたいと思います。
当日は関東の会員も養親ですのでなるべくご自分たちの事はご自分でやって頂き手が足りていない点もありますがどうか皆さんでカバーして頂き何卒ご不満などなきようお願いします。
みんなが参加者ですから。楽しみましょう。
お手伝い下さいます皆さんに感謝します。
欠席の方も後の報告をお楽しみにお待ち下さい。
まずは安全に無事大成しますように心から祈ります。
]]>勝負はやってみないと分からない、そしてどの選手も「命をかけて戦っている」という羽生結弦君の言葉に熱いものを感じました。
体には自分を防御するものはほとんどつけていない冬のスポーツは危険何度も非常に高く、スノーボードやジャンプなどどんだけ高く飛ぶのと恐怖の前に高く美しく技の完成度が高い者が優勝する・・・どんどん会を重ねるたびにその評価は上がり人間の肉体を超えた戦いとなり危険度が更に更に増します。怪我したら再起不能な事故もあり得る恐怖との闘いの中強く逞しく成長して行く訳ですね。
そこで金メダルを取るのが選手の目標・・・挑む勇気が結果となります。もう人間じゃないと思う姿や機械じゃ出来ないと思いますねあれは。一歩間違えれば瀕死の怪我をしたり死ぬことだってあります。それをも恐れずみんな進んで行く、金メダルを取る為に。
夏冬その戦いを見て感動し私も頑張ろうっと思った人も多い事でしょう。
また次の世界一・金メダルを取る為に毎日毎日練習を重ねて・・・・新しい王者が誕生するのでしょね。
王者になるのを夢見て実現してそれは嬉しいけどそれからの王者はまた次の目標、王者としての連覇が期待されてその圧力にも打ち勝つ魂作りも課題になります・
コロナ禍でに開催は夏冬同じようなものです。観客も少ない、選手たちも囲まれたエリヤから何も見ないで帰国、これは今後やはりしばらく継続すると思います。本当に選手たちには熱いエールを送りたいです。
また、将来この会の子供たちの中からオリンピックに出場する子も誕生するかも知れないと思うと私は元気で長生きしてぜひ応援したいと思いました。
この会も今年で結成12年目、記念の10周年はコロナの影響で2年間延期しましたが今年の6月25日(土)に何とか開催の予定です。
1時半頃開始で4時から5時迄には完全撤退、内容は基調講演(石井光太氏)・縁組家族の「我が家ヒストリー発表(仮称)・会員によるお祝いセレモニー(余興)「のりせんさん夫によるボディビル」・「おーちゃん楽団さん夫による空手の型」・中国ブロックの養親さんの「声楽披露」・最後はよさこい(ノンプロ)で賑やかに壮大に締めて頂きます。
それぞれの皆さんが体にのどに磨きをかけてその日まで完成に向かって整えてくれていると思いますので皆さんお楽しみに。
終了後は通年お世話になっているホテルマロウドさんに移動し簡単ですがお客様や関係者、希望者たちとのレセプションを行いたいと思います。無料の送迎バスをマロウドさんが出して下さいます。
大よそですがこんな感じ。場所は土浦市内の会場にて詳細は後日お知らせします。
予想もしていないコロナ禍の中での開催となりますが昔描いていたようには行きませんが制限の中での開催なので参加者の皆さんや関東エリアの会員さん達にはお手伝いをお願いします。
また例年開催しております社員総会も今はウェブ上でと言う事になり全ての書類・会費等もメールでの対応とさせて頂きますのでご了承下さい。
葉書での出欠はメールになります。この葉書の印刷やら返信の確認やら毎年大変でしたが期日までにメールでの回答になります。
まだまだ手探りで関係者たちと進めております。
縮小しても開催したい理由もありコロナ禍ではありますが長年の夢でしたこの式典を何とか無事に終わるように・・・と思っております。
参加して下さった方々が心に残るものとなるように私達関係者一同も精いっぱい努力しますのでご不便をおかけする事と思いますが何卒ご了承下さい。
誰も予想していなかったこのコロナの時代・・・世界中の人々が何か各自で思う事があると思います。
初めてで何がなんだか分からないで来た2年間、多くの人たちが何も悪くないのに経営難に落ち込んだり、入院出来ずに病気が悪化したり、子供達が学校や幼稚園に通えずフラストレーションが溜まって健康を害したり夫婦喧嘩が毎日のように勃発したりみんなストレスを抱えて生活しています。不満だらけで我慢の連続です。
だから何か1つ明るい事が、笑える事が心が暖かくなることが・・・・出来たらいいなぁとずっと考えていました。
こんな時にと思われる方もいらっしゃると思います。それも重々承知しております。
しかし私のbaby救済の総合して17年間の結集として1つのけじめとしても心残りにならないように開催したいと思います。
こんな時だからこそ・・・流れるままに・・・逆らわず進もうと思います。今は少しづついい流れもついていますので・・・
強い祈りが通じてこの6月に無事に開催が出来ますように・・・・
あたちも今年の節分に願いを込めて恵方巻かぶりつきました
注:フェルトですが・・・
チェリーさんの笑顔
只今、ホウ酸水で涙やけ調整中なんです。
あたちたち大親友なの
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