魂はここにある!
- 2017.08.10 Thursday
- 03:57
暑中お見舞い申し上げます。
毎年暑い夏ですが今年もまた厳しい毎日が続いております。
それなのに毎日、毎日大工さん達職人さんは8時にはやって来て作業をして下さっております。
本当に早い、電機やさんが「大工の作業が早いからおちおちしていると越さて怒られるから」と大工さんのお休みに来て作業して行きました。
外装はほぼほぼ終わったようです。
天窓を入れたので明るい、でも金額を聞かずにいれたのでいくらかかっているかが気になります。以外と高いんだよと知人に言われて思い付きで言ってしまって・・・
ところで7月に長野県で東北ブロックの交流会があり参加させて頂きました。
コヒーとミルクさんの奥様が夜なべして作り上げた手作りの御神輿が本当に愛情がこもり暖かい御神輿でした。
それを子供達がハッピを着て「わっしょい・わっしょい」するからまた可愛い。
来年のシンポジウムで再現して欲しいです。
実はこの交流会参加には深い思い入れがあり翌日の善光寺参拝は本当に素晴らしい結果となりました。
行ける方のみの参加でしたので数組でしたがあの4年前の事件で亡くなった「ジュノ」ちゃんの供養の為と思い、コーヒ―とミルクさんには大変ご尽力頂き多分ここに眠っているだろうと思われる水子地蔵尊に皆さんで訪れました。
善光寺の本堂手前のこじんまりとした水子寺でしたが庭の水子地蔵尊のお顔を拝見した時にぴんと来るものがありそのお地蔵さんはお父さん顔で大きな体で大きな手ですがる水子さんを抱き上げていました。
「ここにいるのかなぁ・・・」とお地蔵さんに聞いてみました。
そして本堂に上がりご供養をしたかったのですが1時からと言うことでそれに参加するとおいて来た母のショートスティのお迎えに遅れてしまうので泣く泣くそれは諦めて下手なお経で参拝だけさせて頂きました。
あとでもうすぐお盆だし旦那に施餓鬼供養を兼ねてお願いするつもりでした。
手を合わせて「何も出来ずにごめんね。私は忘れないよ。何かして欲しいことはない?寂しくない?」などと語りかけていました。
私は見えたり聞こえたりするタイプではないのでただ「感じる」タイプです。
その時は別に感じませんでした、多分いっぱい・・・・後からついて来るだろうなぁとは思いましたので事故などに合わないようにと内心思いました。
みんなで昼食を頂く場所に移動中にマロンケーキさんにいしんでんしんさんからのメッセージを聞いて飛びつきました。
感の強いいしんでんしんさん夫妻にはジュノが来ていたようで私の傍に来てくれていたこと、7月で4歳になりましたので成長した姿も見せたそうです。
そして自分の事を話し事件の時の様子やどうしているかなど・・・。私は聞いて欲しい事も伝えてくれて強い衝撃を受けました。
こんな小さな体で痛めつけられ無残に亡くなりどんな思いでいるか・・・
ずっと・・・そう思うとまた私には後悔の念が起きます。
本当の実母の気持ちは?考えは?どうだったのだろうと。聞いてみたいと思っていました。
私と話して子育てを頑張ると言ったあの時の気持ちは??どうして変わってしまったのか・・・などなど。
「ママを許してあげて欲しい。1ヵ月の時に私の生まれて来た事を喜んでくれて愛してるよ」と言ってくれたそうです。
だから母を許してと言うのです。それだけでも十分だと、殺されているのに。涙が出ます。子供が母を想うってこんな事なの。
子供でも小さいから苦しいとかないのか、純粋だから心が綺麗だから恨んだりしないようです。
それを聞いてもう色々実親に関して考えるのは辞めるようにしました。
私はジュノの生まれた時の写真と1ヵ月の時の写真を持っているので持参しその場にいた親達に見せました。
ジュノは私が自分を覚えていてくれた事、そして皆さんにジュノの写真を見せた事を喜んでいたそうです。
誰も親族は思い出してくれない、思いもかけていないのでしょう。
私達他人がジュノの話をしてジュノの写真を見て同じ悲しみを味わった事、ジュノの存在を知ってくれたことを喜んだのでしょう。
いつかもしジュノの魂が来たら伝えて欲しいといしんでんしんさんにお願いしました。
して欲しい事はないのか・・・・うちの旦那に供養して欲しいと言ったそうです。
やっぱりと思いました。水子さんたちとお地蔵さんの傍で寂しくはないと思いましたが何か欲しいものがあるかなと思いました。
数年前の実母さんの場合は赤いお手玉と赤飯をあげて欲しいと言われました。
一番は「供養」、お盆も近いしなぁと思いました。それしか亡くなった者への贈り物はないのです。
私は参拝した時に伝え忘れていたのことがありあらためて伝えて欲しいと言いました。
「私のところに早く生まれ変わっておいで。今度は長生きして幸せな人生にしてあげるからね。待ってるよ」と言いました。
多分、いつかは分かりませんがジュノはやって来ると思います。
その前に多分、そのメッセージは何らかの形で入るのではないかと楽しみにしております。
3ヵ月の短い人生で痛い思いと苦しい思いしかなく本当に可哀想な子です。
それでも母を許して欲しい・・・と願う魂の叫びです。ぜ
今度生まれ変わって私の所に来たら優しくていっぱいいっぱい愛して可愛がってもらえるようにさせたいです。
世界一の養親を推薦したいと思います。
それから「自分のような子を出さないで欲しい」と言うメッセージが来たそうです。
それは以前から十分感じており自分の戒めの為にも、だから多少の障害や病気の子であってもBPは受け入れる団体にしました。
自分勝手な親の思いで差別するのは絶対にやめたいです。
ご縁ってそんなもんじゃない。諦めていてもご縁があれば必ず結ばれて決まります。
子供達はそのことをちゃんと分かっています。だから生まれて来るのです。
深い深いメッセージを持ってやって来る子を拒んだりしたらいけません。
今回、ジュノが4歳になりあの「わっしょい」の中にいっしょにいたんじゃないかなと思いました。
ジュノの写真を見た親達にも何かしら感想があると思います。
いしんでんしんさんに写真を見せて「この子です。この顔です」と言われてこのまま成長したんだなぁと思いました。
水子さんや子供は幼くして亡くなっても成長して行くと聞きました。
この長野県の旅はあらたに私のベビー救済の考え方や活動に更に強烈な強いエネルギーをもらいました。
ジュノに会えた・・・参拝出来て本当に嬉しかった!気になっていたことが成し遂げられました。
だからベビー救済は必要なんです。無理に産んだ親が育てる事はない。命のをバトンを渡す方が全然いいに決まっています。
せっかく生まれて来た命なのですから誕生を祝えるのはその関わった親たちなのです。
その後、説明会があり私は面接の最後に自分のエネルギーが無くなるのが分かり、意識が遠のく感じで体が重く最後の方はよく覚えていません。幹部たちがその分、しっかりやってくれました。
帰宅後、いつものことながら説明会が終わった日の夜は体がしんどくなります。
始めて会うご夫婦の思いが深い時やそのご夫婦の少しうん???と言う外れた考えの方など色々ありますので色々ありますが強い念は受けてしまうようです。いい念ならいいですがそうではないのが普通です。体に来ると分かるので翌日、また下手やお経をあげて神仏に引き取って頂くようにしています。
でも頑固で離れない場合もありそれを知らずに過ごすとまた色々もめたり体調不良になり旦那にSOSです。
むこうもいつもそんなんばっかりなので「自分でせい!」と言われたりはしませんが「拝んでおくから」と言われます。
忙しくて忘れてしまうのでは?と思う時もあります。「あいつちゃんと拝んでくれたかな?効いてないみたい」と思うことがしばしば。
でもジュノの寺ですからあの水子地蔵尊を見た時に多分、おみやげもらうだろうな思いました。
一応「ジュノだけだよ。後の子は知らない子なのでついて来ないでね」とは念じましたが多分、いっぱいついて来たと思いました。
ちゃんと生みの親の思いが通じていたり供養されていたら何も起こらないのですが今回のように親のいるお墓に入れずにいくら有名でもこの小さな魂だけ離れて納めるのはどうかな。でも有名な寺だから普通じゃないからいいのか、分かりません。
私だったら自分の手元に置き(自分の入る墓)その都度、お参りしたいと思います。
でもあのお寺にいたんだ!と思うと今後長野を訪れたらまた参拝出来ます。
コヒーとミルクさん本当にありがとうございました。
いしんでんしんさんもスピリチャルな話が出来て大変嬉しく思います。
ただ、残念なのはよく考えあたらあの寺は善光寺の本堂ではなく手前の水子寺でした。
どうしてあそこまで来て本堂を参拝しなかったか・・・時間もなかったけど、次回は1日かけて行きたいと思います。
魂はちゃんと分かっているんですね。こちらでは見えなくてもあちらでは見えているんだ。だから嘘や隠し事は出来ないはずだ。
石井光太氏には隅々まで取材して頂き私の知らない実母やその家族のことなど本当によく教えて頂き感謝しています。
お陰様でジュノの参拝も出来て手を合わせられました。
ジュノの魂を感じる事が出来、命の大切さや守るべきものを実感した次第です。
2年間に渡りBPを陰で応援して下さりこの事件を公表する事でジュノの思いも少しは満たされたのかも知れません。
感謝しきれません。心より御礼申し上げます。
ここのお地蔵さんに守られているようです。
お父さん地蔵に見えます。
右目に涙が流れているように見えました。
だいぶ家らしくなりました。
お風呂場が完成し部屋の断熱材が入り、押し入れの内容を確認しました。
8月10日現在