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ベビー救済★NPO Babyぽけっとのスタッフが発信するニュースと何でも日記です♪
地鎮祭

14日に無事に地鎮祭を終えました。

この日が会にとり最高の日だと言って雨が降ろうが解体が完了していなかろうが何があろうが絶対にこの日に実施すると言うのでその気でいました。

前日から雨模様で大変心配しました。

あの広い面積で雨でぐちょぐちょになりとてもじゃないけど長靴を履かないと拝めないだろうなと心配しました。

しかしうちにはちょうどいいサイズが合う長靴はないし朝になったら買いに行くしかないか???と考えていました。

どうにか持ちそうな雲行き、でも時々晴れ間も見えたりパラパラ来たり、どっちなんじゃないダヨネーうー

 

一番に来たのが京都の奥地から副代表のいちご組が夜行バスにて到着。お疲れさま!

次にpommierさん、そして旦那・・・

今回は極うちはだけにしました。工務店も丁度用事があると言うので代理も断りましたがこれが後に問題となりました。

皆さん、な〜んにもなくなった跡地を見て唖然!口々に「ひろ〜い!」

そうなんです。ゴミ捨てに行く時にこんなに遠かったかな?と思いながら捨てに行きます。

 

早めに拝み始まってくれないと天気も心配だし昼食の店が3時で閉店なので気が気じゃない。

スタッフと顔見ながら「まだかな?時間間に合う?」と目くばせしながら・・・

 

しかし「これじゃぁ、あかん!どこからどこまでなのか目印がない。中心も分からないと始められない」と言い出し、確かによく考えたら3年前の事務所の地鎮祭の時は四角に建てる位置をロープでくくり目印がありここに建つのかと思ったけど今回は境目の杭しか打ってない。至急、工務店に電話して・・・・会社の人を寄こしてもらい旦那が説明して事無きに終えました。

すっかり忘れていました。

それから「あれがない、こいれがない」と言い出し、始めに言えよとばかりに。

バケツ2個にひしゃく、そうだっけ?物置から慌てて探しに行き、その物置がまたこの解体でぐちゃぐちゃ、しかし目の前に3年前のままあり「俺が取るから」と、埃にまみれたバケツを塩で清めろと言うのでせっせと洗い、本人は御着替えに行き、長靴をよこせとやっぱり言い出し中心に穴を掘りここだ大事。

土地の四隅にも穴を掘り、中心に大きな穴を掘り、まずはお経をあげて参加者の名前を呼び、地鎮祭の目的を述べ、お九字を切り喝を入れました。この瞬間がいつもずんと胸に来ます。喝を入れる時の声が話す声とも拝む声とも違う。さすが心・真が入っているというか力強さが伝わります。

 

拝んでる最中、3年前に事務所を建てて今こうして母子寮の再建をしている自分がいる事、ぽけっとを立ち上げるまでの様々な出来事、苦労が蘇ります。あの時、今こうして拝んでいるこの人の言葉にどれだけ救われたか。

どん底にいた私に命綱を与えてくれた気がしました。

「今度の会は男を入れろ。日本はまだ男社会だから一人でいいから男をスタッフに入れた方がいい」と言うのを信じていちご組の父にお願いしました。だからどうしても一度、旦那に合わせたいと思っていました。

やっと実現しました。

前会から数えたら10年以上、ぽけっとからは7年かかりました。

来た早々に面会してもらい挨拶をかわし「ええ人が入ってくれたな。良かったな」と。

あの人、この人と色々話しても本人が会っていないからいまいちだろうなと思いました。

 

pommierさんにはずっと私の膝の治療をお願いしていて今回旦那のメニエルの施術でお願いしたのに「鍼はなぁ・・」あの長いのを見て「あんたが俺の分までやってもらい」と逃げられた!

ツボだけ教えてもらい、こんな弱点があったのかこの人には、私は鍼よりお灸の方が痛い。悲鳴を上げつつそれが鍼の悲鳴だと居眠りして聞えており「やらずに良かった」と思ったようです。弱虫!!

鍼は何とか我慢出来ますがお灸のあのチリチリするのが痛い!でも良くなるなら私はやりたいと思います。

 

最後に四隅にバケツに入れたお札や五穀米を混ぜ混ぜしてみんなで穴にひしゃくで汲んで入れました。

会の繁栄と土地の清めと結界を張ったのです。

ここからぽけっとの母子寮としてスタートするのに土地神様にご挨拶とお願いをしたわけです。

いっぱい拝んでいる中に神様や仏様の名前らしきものが聞こえて来ました。

きっとこの先、色々起こるでしょうが神仏がお守り下さると思います。

約1時間ほどで無事に終了し、みんなで遅い昼食に行きました。

そこでは旦那も調子が良かったのか生ビールお代わりして飲んでいました。

副代表がいたので男性1人じゃないから話もしやすかったでしょう。

参加者の心にどのように映ったか・・・記念になったかな。

 

始まりました!


       事務所の前の四隅にも・・・

 

 

無事に終了。記念写真!(pommierさん撮影)

 

| - | 02:09 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
未だに違いのある行政

本日10日に母子寮は全棟解体が完了しました。

3時には終了しており見事に一面土の広場となりました。

14日が地鎮祭なのでそれまでは何もありません。

15日よりコンクリートで土台を作る作業に入るそうです。

 

新しい建物が完成するまで後ろの家具付きのアパートを1部屋借りました。

このような状況でも移動する実親さんが後を絶ちません。

京都にはすでに2人行ってますので今回は手続きと病院探しの為に茨城に来て頂きました。

これでこちらも2人、やはり母子寮の必要性を強く感じます。

 

ある未受診で母子手帳のない相談者が来て共にスタッフが保健センターに相談に行くと始めは母子手帳とお祝いセットを持参しましたが相談者が未受診だと分かると一気に全部引き上げたそうです。

母子手帳も「妊娠証明書がないと発行できない」と言うし病院も3軒紹介されて1軒は出産を辞めており次は男性不妊専門の病院でどうにもならないし、そもそも相談に来ていて「あれもダメ、これもダメ」と聞くこと何でもダメで最後は全部自分がそこまでにしたんだからという感じに言われてしまい急がないと生まれてしまう状態の妊婦の相談なのに何も助けてもらえる手だてがない。

結局、また自分たちで考えて当たるしかない、これが現状です。

実親は「きっと怒られる」と思うのでどうしても勇気を出して一歩が出ない、だから更に時間が経過するの悪循環。

BPでは誰かがこういう場合付き添うようにしています。

そして「一緒に叱られてあげるから」となだめて相談に向かいます。

大事なのは母子の命ですから叱られるなんて言ってる場合じゃない、一刻も早く受診させないと手遅れになります。

 

結局、この場合、妊娠証明書もないので母子手帳も発行してもらえず妊婦券もなく実親に病院に連絡させてもどこもダメでしたが出産を辞めている病院から検査と診察だけなら受け付けると言う連絡をもらいその後、無事に検査と診察が出来ました。

少し高めの費用になるそうですがそんな事言っていられない。診て頂けるだけでも嬉しい。

32週までは受診して下さり紹介状も書いて下さる、若い先生でスタッフが丁寧に説明して養子縁組までの話をしたら今後も同じような患者がいたら受診させて下さる約束をして下さいました。

妊婦のその後の検診も承諾して下さりあの保健センターで見捨てられましたがここで救われました。

正に捨てる神あれば拾う神ありです。

その後、その母子手帳をもらいに妊娠証明書持参で行くとろくに見ないでスタッフが「妊娠証明書がないと母子手帳が発行出来ないとは厚労省は通達していない」と言うと「決まりは決まりだから」と言ったそうです。

そこの決まりだろうと言いたい。

つっこんで話したせいか翌日低姿勢になり「妊婦券を出すので病院で証明書を貰ってくれば診察代が戻ってくる」とか言ったそうですが一旦支払いが終わり、全部事情を医師に伝えた上で同意して下さったので今さらそういう回りくどい事はしないと言ったそうです。

 

ここまでメディアが入っていたので後で「あれを放送されたらまずい」と思ったのか「何かお手伝いできることはないか」と聞いて来たそうです。

今更何もない・・・ならばなぜあの時に優しく対応してくれなかったのかと言いたい。

こういうケースの妊婦には非常にハードルの高い相談となります。

言い分は行政にもあるのは分かっていますがここまで来てしまったのですからそれを言っても始まらない。この先をどうするかを聞いて欲しい。

私も行政と話していて「あれもダメ、これもダメで何も出来ないじゃないですか。何か1つぐらい助けてもらえないですか」と声を荒げた時が何度あるか。

行政は言いたい事もあるので捕まえるとこの時ばかりとやんやん言って来て違う話になり長時間を一人で対戦しなくてはならない時などとても妊婦一人じゃ無理だったなと思います。だから二度と来なくなる。未受診、自宅出産!いら

 

そうかと思えば一緒に病院に行ってくれたり先に予約してくれたり、母子手帳も先に発行してくれたり真逆の対応をして下さる行政もあります。

同じことをするのにこうも違う。こういうのは統一して欲しいですよね。

未受診や特定妊婦にも対応内容を変えるように指示されているはずですが相変わらず厳しく冷たい対応で都内でも大きく温度差があり大変困ります。

しかしこうして見捨てられても拾って下さりその後つながる活動になるのでやはりめげずにやり通し1つ1つ丁寧に手を差し伸べることが大事ですね。

そしてそこから自分達の学びとなり知恵となり力と最後には実績・実力につながって行きます。

 

BPには他の団体で断られた実親達が多く相談に来られますがよその団体よりより貧困で問題も多くこちらが泣きたいぐらいの状態もありますがそういう困ったちゃんだからこそ神様はBPに送り込むのかな?と思いました。

幹部に「こうして来るのはうちに親がいるからですよ。誰かが手を上げてくれる。誰かのご縁の子なんですよ!」と言われたことがあります。断るのは簡単ですがそれで行き場のなくなる子供が出るのは問題です。

幹部のその言葉は「ご縁!」と言う二文字につながるのです。

味方を作る意味でも来た相談に真摯に取り組むBPでありたいですね。

 

6月10日、全棟解体終了しました。

なんと広いお庭なんでしょう。

道路からうちが丸見えでぼろ隠しがない

予定より早めに終わったと思います。

お天気にも恵まれまずは第1段階突破です。

| - | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
母子寮解体・・・中継

6月7日


外構を外されて丸裸状態。


怖いぐらいにがらんどう。

 

水かけて埃が出ないように・・・

 

左側3棟からどかんどかんとたたき始めてあっというまにぺしゃんこ

 

 


 

 

 

 


 

 

 

 


ガブッ!つかんで離さないぞ!

 

 

 


 

お見事!詰め所がぺしゃんこになりました!

 

 

 

6月8日

今日は昼から小雨が降りだし早めに昼からスタート。

残りの3棟も4時過ぎには完了しました。

6棟全部解体しました。

明日コンクリートを粉砕するのに運び出すそうです。


 

 

 

 

 

 


あ〜あ 壊れちゃった!

 


悲しいほどがらんとしました。

行きかう人が立ち止まり見学して行きます。

時々散歩の犬もしっぽ振ってふ〜ん、なんにもない!

 

 


 

なんにもなくなっちゃた!!

ひろ〜いなぁうち。

入り口から家まで随分遠いなぁ

 


こ〜んな感じかな、予想図は。

イメージ的には。

| - | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
永い間、ありがとう!

本日5日、長きに渡り会の母子寮の解体作業が始まりました。

6棟あるので(使用したのは3棟)1週間はかかるそうです。

今朝まで後片付けはかかりました。

電気の傘や座椅子が押し入れに残されたりカーテン留めなど細かいのが少し、出来るだけ何も残さないように自分で処分しました。

粗大ごみも何度も軽トラで運びました。

やはりスタッフと2人では限界があります。次回、完成してまた荷物を搬入する時には男性陣にお手伝い願い1日か2日で完了したいと思います。

 

4月からぼちぼち始めて5月の連休まで本当に家を建てるまでの荷物の引っ越しや処分はえらいこっちゃ!うー

母子寮だから少ないかと思いきや結構ありました。エアコンも3機使えるというので外して倉庫に保管しました。重かったよ。

お父ちゃんたち、その時は頼んだよ!!

 

さて6月2日に旦那が来て土地神様に永い歴史に感謝の意を述べ拝んでくれました。

その後お清めを1軒づつ外でしてから中で座ってまた拝んでお清めしてと1時間以上かけて滞りなくやってくれました。

「一人で勝手にやるから」と言うのですがスタッフとウロウロしながら見てました。熱いので汗がにじみます。

特に3軒母子寮に使った家は声高らかにお経をあげていました。

通る人が立ち止まり「この人何やってんの外で??」と言う感じで。(;´・ω・)

父が40年以上前に建てて最後の13年間母子寮として私が使わせてもらいましたがここからどれだけ多くの実母が救われ子供が誕生して新しい親元へと巣立って行ったことか、考えると次々思い出されました。

頭を悩ます問題を抱えた実親や緊急手術で呼ばれて駆けつけた事や難産で時間がかかり病院を何度も往復した事や中学生の出産などやはり気苦労のケースやこれからどうしたらいいものかと悩んだことなど、院長に実親が問題を起こし叱られて悔しく帰った事などを思い出していました。

まぁ色々ありましたわ。

 

よく・・・長くぽけっとまで支えてくれたなぁ・・・共にここの土地神様に感謝しました。

大量のお清めの塩と酒1升をまいて1時間以上に渡る勤行が終わりました。

遅い昼食をスタッフと3人で食べて、旦那にベビー救済で起きた事件や私が腹に据えかねた案件など聞かせてやりました。

今度の法案で「民間団体に助成金は政府は出す気はない」と分かった事や事務局も母子寮も私は自腹で建てる事になりどこからもその助成金は出ないしやはり法案で経済的援助はない・・・何ら今までと変わりはないと説明したら怒っていました。

だからポケットはこれからも貧乏な団体だと言うのは変わりません。

でも事務局も母子寮もあるからいいでしょう!

3年間に2軒も家を建てるとは・・・後どうしようです(´;ω;`)ウゥゥ

 

今日は母子寮の6棟の瓦を取り払い壁を破壊し中はがらんどうになりましたが哀れな姿となりました。

明日は周りのトタン類をはがして見るも無残な姿に変身し重機が入りますので明日から本格的に解体開始です。

記録としても今後時々お見せしたいと思います。

 

道路に向かって拝んでるのかなぁ・・・

土地に向かってまんべんなく

一人せっせとお経あげていました

 


 

 

 

 

何だかこうなると戦時中の建物みたいで哀れです!

| - | 21:20 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
ぼちぼちでんなぁ!

18日、京都の協力病院でまた一人赤ちゃんが退院しました。

赤ちゃんだけ6日間、黄疸が出た為、入院しており18日の退院となりました。

6月の母子寮解体とシンポジウムの準備とダブルで忙しいので退院と引き渡しが同じ日となりました。

朝、6時過ぎの電車で東京駅に向かいました。

平日なので山手線の通勤ラッシュとはぶつかりたくなかったので早めに出ました。

この日はスタッフも他の会議に出てもらうので私一人でした。

 

新幹線も9時代なのに混んでおり、京都駅もタクシー乗り場にながい行列が出来ておりだいぶ待ちました。

運転手さんが「今日は修学旅行がぎょうさん来てますよ」と言ってました。うーいら

 

この日は今年のドラママザーズの脚本の参考の為、中京テレビのプロデュ―サーも同席したいと言われて2人で待ち合わせて行きました。

病院では広い個室で話をさせて下さり実親さんも先に来ており、4圓靴太らなかったという驚異的な体形でハツラツと話してくれました。

1年前に友人が当会に相談したけど結局産んで乳児院に入れたままホストにはまってしまったそうです。

その友人はその後、赤ちゃんの面会にも行かないそうです。

だからこの実親さんはそういうふうにはしたくないと沢山のHPを見てBPに決めて下さったそうです。

BPに決めたのは情報が多い事と掲示板や子供の写真がいっぱいあり幸せそうなのが理解出来たからだそうです。

そして張ってあるリンクもよくご覧になっていましたね。

せんとちゃんのブログは「家近いやん」と思ったそうですよ。隣の駅かなと、だから尚更親近感が感じられたのかも知れませんね。

しっかりした実親さんでした。

 

京都の区役所も何回も同じ病院で誕生して一発転入の手続きなので慣れて来ており、ただ、先方に送るのに特別養子縁組だと分かる書類があれば助かると言うので承諾書のコピーを渡しております。

1時過ぎているのにガラガラでまぁ楽でした。

無事に完了して一足先に実親さんは親が迎えに来ると言うのでお別れしてプロデュ―サ−と私を先生が珍しく都合がついたとお迎えに来て下さり3人で先生の予約したレストランで洋食を頂きました。

変わったレストランで頂いたお食事もおいしかったです。

いつも病院と京都駅の往復ですが京都はどこに行ってもお寺や神社があり行くだけで体が清められる気がします。

そこでプロデューサ−と先生と私の女3人で養子縁組の話や実親の話をじっくりしました。

そして先生から「私は特別養子縁組を公にして話してますがやはり医者であっても助産師であっても看護師であってもみんな賛成しているかというとそうでもない。だから時間をかけて話して行くしかないと思うのよね。でもメディアで代表が出てくれているのを見たり迎えた養親の様子が見えるとやっぱり子供は幸せにならないといないと思うの。私も2年あまりであるけどこうしてBPと関わり本当に養子縁組は素晴らしいと感じるもの。応援したいわよ。こうして実親さんを連れて来てくれるしいい育て親さんを見つけてくれるんだから」と話して下さいました。

 

医者の中でも「人身売買じゃないの」という方もいるそうです。

京都の病院で「先生、特別養子縁組してるんだってね。今度教えてね」と言われることもあるそうです。

「医者でも色々だから、年配の医者はまず理解してくれないわね。私もこうして毎年養子縁組の子供や親も見させてもらいその背景も普通に産む親とは異なる事を学ばせてもらっています。ありがたいことだしこれを私も医者や看護師・助産師に伝えて行かないといけないと思うのよ。どれだけできるか分からないけど頑張るからね」と逞しい言葉を聞いたのです。

だんだん、ぼちぼちかな、でも確実に増えていると思いますよとも話しておりました。

そうですね、天下のNHKも養子縁組の番組を朝から放送していたり多くの民放も取り上げていますから。

京都で病院がこうしてできて本当にありがたいです。母子寮的な対応もして下さり助かります。

大西先生との出会いはいなべの川村先生の紹介ですが先生から私の話を聞いて会報かな写真を見てこんな人かなと思っていたそうですが初めて面会したら全然感じが違ってバイタリティがあって「この人なら一緒にやれるわ」と思ったそうです。笑

じゃぁ、面会しなかったらどんな代表だと思っていたのかしらね、何もしない口だけのどうしようもない感じかな。笑

 

中京のプロデュサーは「私はメディア側としてドラマで養子縁組を応援出来たらと思います。ぽけっとの活動と全く同じには出来ないけど少しでも見る人が養子縁組を理解しぽけっとが幸せな気分になり特別養子縁組が特別じゃないと思われるようになってくれればいいなと思っています。私も応援しますからね」と。

そういう話をしながら女3人でこれからもそれぞれの立場でぽけっとを応援して一緒に子供の幸せの為に協力し合いながら頑張りましょう!と誓い合いました。

 

中京テレビとの出会いも今の私にとりまして言葉に言えないご支援を賜り「マザー」という固有名詞はぽけっとのもう一つの肩書きでありかけがえのない合言葉となりました。

関係者との連携も気があうからこそ信頼関係も結ばれて互いに認め合い助け合いしながら共に歩んでいます。

ドキュメンタリーではグランプリも頂き「マザー」という名前はぽけっとの為にあるのではというところまで来た感じがします。

その名前に恥じないように更に謙虚に活動しなければなりません。

本当に毎年沢山の出会いがあり皆さんにいいエキスを頂き成長している気がします。

関わるお一人お一人に心から感謝致します。

私こそ初心忘するべからずでいつでも基本を忘れないでなんにでも感謝しながら進まないといけないなと思います。

 

追記で、先日クリニーング店で定員さんに「あのテレビに出てましたよね?赤ちゃんの養子縁組で。なかなかお客さんがいて声をかけらえないでいましたが・・・凄いなぁと感激しました。自分は4人子供がいるけど産めない人もこういう方法で子供を育てる事が出来るんだから私はなんて幸せ者なのかなと。大変なお仕事をされている方がこんな近くにいるなんてと思いまして・・・」とまぁ嬉しい声が聞こえました。

誰も他にお客さんがいないので数分ですが話してみました。目がキラキラしてこの人は心が綺麗だなぁと思いました。

「何も知らないで何も出来ないし・・・」と言うので「放送を見て頂きこうして話して下さり知って頂くために私もメディア協力しているわけだしあなたのように感じて下さる方が一人でも増えればそれは効果があったと言う事です」と言いました。

地元では目立たないのでいいですがやはり少しづつでも浸透しているんだなぁと思いました。

私も親族でも前からこういう活動をしていると話しても「人身売買じゃいかと思っていた」とか何にも反応がなかったのに数年が経過したら大騒ぎして「NHKで見た」とか「地元のタウン誌に出てた」と」朝からメールがどんどん入り???

近くにいてもこんなもんですよ。

私も吹聴しないし人をみて「この人は話しても無理かな」と思うと言う気がなくなるので、今では急に話が広まりお葬式などで合うと「テレビを見たけど凄い事してんだね!」とあちこちから言われます。今更かい?と言いたいけど「応援して下さい」と言います。

 

マザーズのドラマも母の実家に1枚置いて来たら凄い旅に出てしまい今やそのDVDはどこまでもどもまでも私の知らない所にまで行ってしまったそうです。笑

別に私が出ている訳じゃないのに、どういう話になっているのかが問題ですこうなると。ちゃんと私の話したように伝わっているのかなと心配。

その後、何でもない親族たちも急に寄って来て優しくなりました。

人間ってなんて単純で面白いんだろうと。

話し方まで違って来て、だから一歩間違うとこれが逆に回るから怖いなぁと思います。

みんな「大変なんでしょう?」と聞くので「はい!大変です。責任は重いしやることもいっぱいあるし資金もないしでもやるしかないんですよ。」と言うと「なにか出来る事はない?」と言うので「はいあります。カンパを下さい」と言うと「カンパン?(乾パン)あれでいいの?」駄目だこりゃ。。。何でもいいから養親縁組を悪く言わないで欲しいです。

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51635

新潮45の・・・道玄坂事件が記事になりました。

| - | 18:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
5月は子供の月間

恐怖の5月に突入しました!

シンポジウムの内容も決まりつつあります。

どんどん忙しくなります本部はggあつい

そして5月5日は子供の日であり私の誕生日○○歳になりますDocomo_kao18ゆう★泣

全然嬉しくない毎年来るこの誕生日!!

若い時は嬉しかったけどこうも年を取るともう忘れたい誕生日を・・・

しかも今年の誕生なんか娘の友達が彼氏にプレゼントするので連休だけバイトさせてやってくれないか?と頼まれて。

人を雇うほど裕福な団体ではないのですが数日ならばいいかとOKしました。

そう簡単に連休だけバイトは無理でしょう。

 

しかしその子だけ使う訳には行かず娘に「あんたも一緒に働いて、友達は時給○○○円でいいかな、高校生だから相場だよ。でもあんたは無給ね」と言いました。

仕方ないと言う感じであいつは手抜きをすると思います。

しかも3・4・5日だけで3日の昼から4日夕方まで私は出張で留守なのでやることを教えて行くしかない。

二人で遊び感覚で2日間いるだろうなと思うとお金払うのもなんだかなぁ。

みっちりやってもらおうじゃないか、しかし仲良しの友達だしそうもいかない。

まぁ、母子寮の解体前の荷物整理をしてもらう予定なんですが。

1軒任せて2日でどこまでやれるか、すでに私とスタッフで大よそは片づけてたいした荷物はないはずだけど。

5日には軽トラを私が借りて来て本家の物置に保管に行く予定です。

家具もあるので若い2人に手伝ってもらいます。

 

青年よ汗を流せよ・・・少しは親の苦労も分かるかな???無理か!

だから5月5日の誕生日は私自ら軽トラ運転して荷物整理と運搬で終わる予定です。

何ともパッとしない5月5日です。

 

母子寮も2軒は実親がまだ滞在しているので5月末に再度片づけないといけないのです。

予定では6月中に解体予定で6棟全部解体します。

半分は母子寮…平屋建て、残り半分は駐車場になります。

水回りがうちはよくないので今回は少し業者が苦肉の策を練って完成すると私の母屋が更に見栄えが悪くなりますがそれで水回りが改善されるのであれば仕方ないかなと思います。

道路より40cmうちが低くなっているので雨水がみんな入って来てしまい長年これで悩まされていました。

父が建てたので文句は言えないのですが当時はそこまで酷くなかったので何とかしのいでは来ましたが年々低くなり我が家は大雨が降ると大騒ぎです。

業者と設計士が考えた苦肉の策は・・・もうこれしかないとは言いますが何だか道路側から見たら奥の我が家が変に見えます。

それを直すとなると母屋を立て替えるしかないのでもう私は無理!

娘に「あんたが母屋は好きなようにやるんだよ」と言ったら「どうやって?」「自分で働いて銀行からお金借りてローンで立て替えるしかないね」と言いました。「いらない!」と言われました泣きうむむ

 

3年間に家2軒です。いくらたいしたことないと言っても事務所と母子寮ですからねない袖振っても何も出ない。

鶴の恩返しのように機織りながら1万円札が1枚づつ抜けて行き、最後はローストチキンのように丸裸になります私。

でも決断しました。「どうしてもやるのか?決めたのか?」と昨年旦那に言われて、今しかないかと思いました。

そしたら9年に一度の大凶みたいで私。不安になりしつこいほど確認したら「ぽけっとの申請が6月なので今年でも来年でもいいよ」と言われました。

彼もあれこれ考えてくれて「5月の解体だけは辞めてや」と言われました。私の誕生月だからでしょう。私も解体されたらそれこそ大変です。

 

解体日が決定したら1週間ほど前に土地の神様に「今までありがとうございました」とお礼を言って作法をするそうです。

そして解体したら地鎮祭で「これから新しく建てますのでよろしくお願いします」とまたお願いするそうです。

「まっ、しっかりやれや」と言いました。

何かあれば旦那のせいに出来ますちゅんプッ

その時々でどこにも神様はいると言うことで土地の神様、水の神様、火の神様・・・いっぱい。

何でもよろしくお願いします!!

時々、様子をお知らせしたいと思います。

| - | 01:21 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
誰が悲しんでくれるのでしょうか!

4月18日に「新潮45」に3年前の渋谷の道玄坂で生後3か月の女児が同居していた18歳の未成年の女子たちに虐待を受けて死亡した事件の内容が掲載されました。(P82〜P92)

今回、石井光太氏が取材されて私も知らない事件の内容や事件の背景がかなり詳細に掲載されております。

裁判にもなりましたので当時、私は多少なりとも母子とかかわり言いたいことは山ほどありましたが影響を考えて控えておりました。

しかし裁判も終わり石井氏が明確な取材をされて私の知らない部分や知りたかった部分も今回新潮で公になりましたので公表します。

 

あの事件発生時にも記載しましたが私は特別養子縁組を決断した実親のサポートをして育て親も決定しましたが最後にキャンセルとなり実母が連れて帰り実家で育てることになりました。

しかし家出癖のある実母に一抹の不安を抱えてそれでも1か月後には検診後の報告や「大事に大事に育てて素敵な親になれるように頑張ります」という希望に満ちた手紙をもらい安堵したのもつかの間の時間となりました。

詳細は新潮45を購入してご確認下さい。

 

どうしても残念なのは人間一人死亡しているのに犯人という女性が無実になったことです。

そして生んだ親やその親族が「もう忘れたい」と言ってることです。

血を分けた小さな命が無残にも殺害されて忘れてしまっていいものでしょうか。

私は協力病院で「遺体はあまりにも無惨だったのでこのままにはしない。裁判に持っていく」と言った刑事さんの言葉を病院側から聞いているので心は自分の身内が殺害された気分でした。

出産も立ち合い、赤ちゃんの写真もあります。

いつも思い出すと「返さないで置いたらこんなことにならなかったのでは」「3か月経過していてももう一度連絡をくれたら迎えに行ったのに」と何度も後悔しました。

人間に生まれて来たのに人間扱いされずおもちゃのようにされて逝ってしまった子供に「二度と同じ子供をつくってはいけない」と肝に命じベビー救済の肝筋を入れ替えました。

 

石井氏にはここまでよく取材して下さり心より感謝申し上げます。

3か月で亡くなった子供の無念を一人でも多くの方に読んで欲しいと思います。

私は今、親心みたいな気持ちです。

子供の無念をどうかみなさん新潮45で感じて下さい。

そしてご自分の子供を強く抱きしめてあげて下さい。

ジュノちゃんに心からご冥福を捧げます!

 

注:ジュノとはローマ神話で女性の守護神、実親が幸せになって欲しくてつけた名前だそうです。

  漢字では違う字ですが私にはそう説明してくれました。

 

 

 

 

 


 

| - | 21:14 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
春風1号

新学期のスタートですね。

1期生始め3期生ぐらいまでが新一年生になり新しい一歩を踏み出したのでしょうか。

おめでとうございます。

 

我が娘も高校2年生となりクラス替えで理系に進んだので39名中女子9名という何とも男臭いクラスに入りました。

仲良しとも別れて顔見知りの男子が2、3名いる中、新しい友達作りをしながらの1年間となりそうです。

いつまでも友達とつるんでいられないのはよく分かっていますがそれよりも私は娘が理系でついていけるのかが問題で心配です。

自分でも頭の先からつま先までどうみても文系の頭なのに・・・・という娘が看護師になるなら理系がいいという担任の勧めもあり理系に決めましたが果たして着いていけるのかが心配でなりません。ぴぃ焦る困った汗

友達を作ることには慣れている子ですがどんなクラスなのか、担任は横にふと〜い男性の先生だそうです。

 

さて、5日に7年前に母子寮に移動して来て出産し養子に出した実親さんが訪問されました。

BPになりスタートした矢先の事ですよね。

翌年に無事に出産してなかなか帰る場所が見つからず結局8か月滞在した実親さんです。

当時はちょっと変わっている子で困ったちゃんでした。

でも基本の常識は持っている子で「どんなことがあってもこの子は殺せない」と出血していて母子共に危険で「早く中絶した方がいい」という医師の話を蹴って当会に相談して来ました。

何度も死のうと思ったと話してくれました。そのたびにお腹が痛くなる。最後はマンションの屋上から飛び降りる覚悟までしてぎりぎりまで行ったけどお腹が痛くなり止めたそうです。

子供が「死なないで」というメッセージを送っていたのでしょう。

そして最後BPを見つけて連絡して来て所持金は1000円でした。壊れたサイズの合わない靴を履き紙袋1つを持って移動して来ました。その後は安静を取るようにと言われて診察にもこまめに通いました。

 

ご飯の作り方もよく分からず教えたり支援物資を皆さんから頂き食べ物や服まで頂きました。

家庭の事情で親が離婚し継母が来て虐められ、虐待ですね。高校のジャージを着て田舎の山を2つ超えて逃げて来たそうです。

1度通報されて失敗し家に連れ戻されていましたが2度目は死ぬ気で家を出たそうです。

昼間に動くと未成年なので警察に捕まると思い、夜に行動したそうです。

空腹な時はコンビ二ゴミ箱の食べ残しの弁当をあさり、飲み残しの飲料水を飲み空腹をしのいだそうです。

壮絶な日々を送り地域を転々とし関西地方に流れ着きそこで風俗業をしたそうです。

そこで子供の父親と出会い、その男性の借金の保証人を頼まれて断り男性は出て行き、残ったのは男性の置いて行ったチキンラーメンのみで電気ガスが止まり、チキンラーメンをかじりながら過ごしたそうです。

 

家賃もつわりで働けず滞納が続き、出るにも出れないという事で不動産屋と念書を交わして私が責任を取る形で出ました。

だから元気な子を産んでくれないと困ると言って、とにかく診察に連れて行くのが何より先決でしたね。

こういうケースは初めてだと不動産屋も言い、事情を説明したら「あんたはいいところに相談したね。こんなところはないよ。もうこういう人生を歩まないようにしっかり生きて行きなさい」と励まされたそうです。

 

幼い頃に親が離婚し新しい継母からは虐待されて何一つ人間らしいことを教えてもらえず理不尽な形で社会に飛び出した訳ですからこの親が何も出来ないのは仕方がない。やろうと言う気持ちだけはあり教えたら素直だからやります。

母子寮を出る時に私はまだ早いと反対して「もう私からは何もしないから何かあったら来なさい」と言い、自分で見つけた職場に行きましたがその後2年間は音沙汰無しでしたが正月2日に「行っていいですか」と連絡がありました。

2年ぶりの再会でしたが派手目は変わらず「言われた通り、あの会社は3か月でつぶれました。その後、2つ掛け持ちでバイトして今は市内で一人暮らししています。風俗はダメと言われたのでやりませんでした」と。

それからつかず離れずの感覚を開けてというより向こうから来たい時に「来させて」、会いたい時に会うという事にしました。

べったりは嫌な性格の子ですから。

 

でも「マザーさん?行っていい」という時はまぁろくな事はない。

職場で虐めに合ったとか変な上司に言い寄られて脅されたとかときたま霊感の強い子で変なのを私に置いて行く時もあり私が体調不良を起こしたり娘が嫌な夢を見たりとまぁ「あんたは・・・」と言うと「えへへへ」と苦笑い。しょうがないねこれも出あったご縁だね。「塩持って歩け」とか「月に1回は神社に参拝しなさい」と言いました。氏子さんの家系なので。神様が守ってくれると思います。本当は巫女さんになりたいそうですが継母がいるので諦めたそうです。

そして次に会った時には「将来を考えて福祉の道に進もうと思います。働きながらお金貯めて看護師になれるように頑張ります」と言って来ました。正直「あの子では無理じゃないか・・・感も強いので病院勤務で大丈夫か」と思いましたが彼女は頑張りました!

始めて受験して落ちて目が覚めて予備校に通い3年かかりましたが今年めでたく専門学校に合格して4月から引っ越して働きながら学校に通うそうです。

1年で90万の授業料で270万かかり、入会金や教材費や研修費なども別にかかり大変なお金で貯金もなくなりましたがそれでも大きな夢に向かって輝いていました。

顔つきも変わり逞しくなり落ち着いていたし話も常識ある言い方で3年間の苦労が実を結びました。

 

午後から来て夜9時過ぎまで話して夕飯を食べて何度も「よくここまで頑張ったね」と言いました。

「関西を出なかったら茨城に来なかったら今はなかった」と言いました。

8年間実家の父親とも音信不通のような状態でしたが父親だけは手紙を出して最後にメールしたいと言うとアドレスを教えてくれて8年かかったけど最近再会したそうです。

疲れきっており家庭崩壊の1歩手前だと話したそうです。娘一人を追いやって8年も何もしてやらず心の中では義母の言うことが真実だったかどうか理解出来たと思います。

「これからは応援するよ」とアパートの保証人にもなってくれて今後も合いに来ると言ったそうです。

実親の人生・・・妊娠により大きく人生を変えてしまう場合も多くありそこから幸せになって行くのは簡単ではありません。

最後は自分の考えと責任で決めて行くことになりますが私はそういう時に相談相手になってやりたいなぁ、BPはそんな団体にしたいと思います。

生きるか死ぬかの選択肢を迫られて子供だけは生かしたいという母の願いは最後は子も母も幸福へと導いて行きました。

母は強しです。ささやかですが皆さんから毎年頂いているぽけっと基金からこの実親さんにお祝いの門出として助成金を渡しました。「いいんですか?」「後で返せとは言わないから今後に使ってね。応援しているよ」と言って「握手したくなった」となぜか握手を求めて来たので「頑張るんだよ。本当によくやったね。立ち直って嬉しいよ」と言いました。

 

結構、実親さんは「将来看護師になりたい」とか「助産師になりたい」という声をよく聞きます。

大変な時に助けられたからでしょうか。

こういう話は何度聞いてもいいですね。皆さんに新しい春風が吹きますように

| - | 17:18 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
どすこい・どすこい・・・しこふんじゃった!!

大相撲春場所は稀勢の里が見事な逆転優勝を飾り茨城県は異常な盛り上がりで私も15日目の結びの一番ではテレビの前で大興奮してしまいました。

いつものように稀勢の里は平常心を見せていましたが果たして本人の心の中は・・・心臓バクバクではなかったのかなと。

本割で右腕一本で揺るぎない体制を取り、横綱らしい強い押しで一歩も譲らず立ち合いに変化など普段はつけないのに痛めた左肩に当たらないように軽く交わしたのが良かった。

あの口元のきゅっと閉めるしぐさが何とも決まっておりいいですね。

勝った瞬間、手ばたきした手が痛いことおまけに雄たけび上げてしまい、そして優勝決定戦にもつれ込むとは・・・更に口評論家はテレビの前で「頑張れ!」と独り言。

手に汗握る一番でしたが転がして勝ちを取りに行き、さすが横綱・・・弱い精神面を脱却した1番でした。

本当に嬉しい・・・親戚でもないのに一緒になって君が代で泣けました。(´;ω;`)ウゥゥ泣き

 

私はそんなに相撲は好きではないですが父が生きていた時は母も一緒に応援していたし、娘が来てからは母が子守しながら相撲を見せていたので娘は高校生でも白鵬の大ファンで負けると機嫌が悪くなり今回はけがで休場したので興味がないそうですがなぜか結びの一番は渋谷で友達4人と楽しく過ごしていた最中に見たそうです。なにで?

 

もうその日は何度、ニュースであの場面を見たことか、本当にあんな大きなテーピングで青あざ隠してまさか勝つとはそしておまけに優勝までしてなんと素晴らしい。

「諦めないで頑張って良かった。腕が駄目なら足は元気なので足で勝負しょうと考えた」そうです。

もう彼は郷土の誇りであり星です。凄くいいエネルギーをもらいました。

人気のないワースト1のこの茨城県に納豆や茨城空港よりもっと素晴らしい横綱として品格を刻んで下さいました。

未来永劫に語り継がれる大きな一番相撲を残してくれました。

ポーっとしているとか何ともぽーわんとした地域性の茨城県に勇気とファイトを下さいました。

 

私もこれで更にベビー救済に打ち込めます!全然相撲と関係ないけど。

母子寮再建で2月からどこに頼むか、費用はどこから出すか、内容はどうするかなど一人であれこれ悩んでおり、また今年一番悪い年のはずが旦那が大丈夫というのでその気になり進めてきましたが昨日、久しぶりに連絡が付き「本当にこんな年回りの悪い時に母子寮建てて大丈夫なの?建てたはいいけど来年、私が死んだらどうすんのよ?」と言ったら「暗剣殺あるしな・・・そこが問題なんや」とか言い出して「あんたね、あんたが大丈夫やというから決断したのに私に何かあったらどう責任取るのおっさん!!」

旦那は大笑いして「俺もどないするんやろうなと思ったわ。自分の為にするならよくないけど他の人の為にやるのだから大丈夫や。そしてどうしても今年がええんやろ?その時期だろうしな」と言われました。

そうなんです!「実親の為に・・・建て直すんですよ」しかも自腹で。😢

「なんで私が・・・3年間に2回も家を建てる事になる人生が来るとは思っていなかったよ」と言うと「ほんまやな」

事務所と母子寮・・・どっちも大事。母子寮は更に大きいし資金もかかります。どこからかき集めるかが問題。

「おばあちゃんのは当てしないで下さい」と税理士にきつく言われており、大蔵省なのに期待できない。高齢で万一の事があると税金問題が発生するので・・・相続の。

「20年前におばあちゃんに建ててもらっていたら良かったかな」ってさぁ、私もその頃ベビー救済始まってないもん無理。

うだうだ資金の話をしてたら「金の話は俺は無理だと言ってるやろ。言うな」と言うし鼻からあのおっさんは当にはしていませんが愚痴りたくなったのです。

 

この母子寮再建は私の夢の1つですし何度目かの人生を賭けての事業でもあります。

こんなに人生に賭ける事が生じる大掛かりな事態がいくつもやって来るとは知らなんだ。しかしやり遂げないとこのままでは終われない。

「お金はいいからしっかり拝め!私に何か起きないように、OK出したあんたに責任があるからね」と散々言ったら笑いながら「分かった」と返事はしたものの持病が出ており只今面会も待ったがかかり調整中で見積もりと図面を送る事になりました。

面会して話さないと山盛り相談事もあるので気になりつつその返事を待っています。

この季節の変わり目、特に春先は駄目らしいです。

私も三半規管が弱いので目が回るのと気分が悪いのは理解出来ます。

この分で行くと6月に壊すのも遅れる可能性が出て来ました。

年内に完成させたいのは譲れませんが。

その前に引っ越しもあり母子寮の荷物整理やらやることが多く、シンポジウムの前にやる予定でしたが変更になるかな・・・

お手伝いも必要だし応援もお願いしないといけないし、ああ〜頭がいっぱいです。ggうむむ

 

 

 

地元巡業時のパンフレットから抜粋

 


地元巡業時のパンフレットから抜粋

 


土浦出身の高安関

今後に期待がかかります。

次は大関を目指し地元が再度燃えてます!

| - | 18:21 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
生きるための命

私は13年前にべビー救済をスタートしましたが4組目でまさかの障害があるかも知れない赤ちゃんが誕生してしまいました。

染色体に異常はなく何が原因が分からず検査の連続でした。

小さすぎてまだはっきりしない事と実親が若く上に子供がおりその子の世話で病院にも通えず退院はしたものの養子縁組を保留にして治療を優先させました。

ただ、連れては帰れず本部からはとても通える距離ではなくたまたま知り合いがおりそのご家族にサポートをお願いしてしばらく様子を見ました。 病院側は実親が未婚である事やかなり妊娠が経過していることを理由に子育ての能力があるのかなどかなり疑ってかかってとても状況的に問題で養子縁組をする意向である事は伝えられず見守る毎日でした。

 

沢山の困難を乗り越えて次々出る課題にどれほど頭を悩まし心が打ち砕かれたことか・・・1年間です。 私のベビ−救済の肥やしになった案件でした。

当時は今より更に偏見の目で見られ障害があるかも知れない赤ちゃんの養子縁組など到底病院では理解してもらえずただただ無事に退院し私の手元に来るのを待つのみでした。

1ヵ月以上かかり仕方なしに一時は乳児院が満員で里親宅に委託になりろくな世話もしてもらえずやっと迎えに行けました。

飛行機で抱いて連れて来る時に「幸せになろうね」と言いながら機内で故郷に別れを告げて旅立ちましたがその後もまた数えきれずの問題を抱えました。

 

そしてマッチングもなかなかうまく進まず国内では4組が見立てで断って来ました。

こういう赤ちゃんは普通では元気に誕生することは出来ず途中で流産したり死産したりしてしまいこの世に生を受ける事はまずない命だと医師に言われました。

 マッチングが進まない中、当時4歳だった娘は「うちの子にしようよ。あたしの妹」と言いながらもう可愛くて離しませんでした。 「凄い子やなこの子は。精子が3億いるならその中から選ばれた一人、エリート中のエリートやんか。こうして誕生出来たのだからピカピカの命やんか!」と旦那は褒めていました。 本当にその通りで生まれない命のはずがこうして誕生したのですからこの世に使命を持って生まれたはずです。

その使命が何かはその後にならないと分かりません。 この頃、子供の障害や病気の相談が多い中時々この子のを事を思い出します。

 

私は1年間も自分の手で育てるとは当初思いもせず少しだけ弱いところがあるだけでこんなにも日本人は目を向けてくれないのかと言う現実を知りました。

しかし同じ状況でも海外では違いました。 1ヵ月で親は決まり海外から養親が迎えに来てくれて今度は成田空港に見送りに行く事になりましたが大勢で涙涙で別れました。

1年間の思い出を残し沢山の試練を乗り越え海を渡る子供に本当に感謝しました。

そして「絶対に私のような子供を見捨てないでね。諦めないで親を探してあげてね」という強いメッセージを残して自分の新しい世界へと旅立ちました。今でも強く肝に命じております。

怒涛のような試練の1年間でしたがそこでの学びは私には大変貴重で命の誕生の意味を思い知らされました。 沢山の試練と沢山の経験とそして幸せ感も味わえた時間でした。

今はもう元気に海外で中学生となり日本語の話せない日本人ですが今でも魂の中に私達家族が住み着いているのだろうかと思う事があります。

 

何があろうと命に無駄なものはない、必要あって誕生するのですから生かしてあげないといけない。

綺麗ごとや甘い考えで養子縁組など出来ない現実があります。 これから子供を迎えたいご夫婦はもっともっと深く自分達夫婦の事、色々に変化する将来を重く考えて進んで下さい。

簡単な養子縁組なんてどこにもありません。 自分たちがなぜ実子が授かれないのか、そして養子を迎えるとはどんなことなのか、ただ可愛いとか嬉しいとかだけでは困難がぶち当たった時抜け出せなくなります。

生まれて来た子供には何の罪もない、子供に対してたとえ健康体でなくてもそれに対して差別や批判はして欲しくない、完璧な人間なんていないのですから。

親が手を差し伸べる事で良くなる事もあり大きな変化も見られる事もあります。 その可能性を持って生まれて来る尊い魂なのですから。大事に大事にして欲しいです。

 

Babyぽけっとで病気や障害のある子を迎えて下さり大事に育てて下さっているご家族に心から感謝します。

健康体なら喜んで迎えてくれますが少々健康面で問題があるとなるといきなり親の介護や親族の反対が出たと断るケースが多発しております。

そこで断るならば始めに十分に情報を把握して夫婦間や親族間で話し合いその結果を再度認識して申し込まれる方が受ける側や実親の方も負担が軽くなり安心できます。 安易に養子縁組を決断して夢と現実との違いも思いしる事にもなりますので最後はご自身の決断とご自身の責任で進める事をお願いします。

私達は実親の相談からすでに沢山の人が1組の縁組に向けて動いております。

断るのは簡単ですがそれまでには多くの労力が使われまた白紙になると実親側の心にも傷を残し関わる者への落胆も拭いきれないものがあります。

白紙やキャンセルには非常に多くのエネルギーを費やし積み上げたものを全部壊し後々関わった誰しもが脱落感と何らかの憤りも残す結果になります。

 

 

(信濃毎日新聞より抜粋)

 

3年前に渋谷の道玄坂でに事件。

3年が経過して裁判になり結果、生後3ヵ月で赤ちゃんは死亡しているのに犯人とされている当時の未成年は無罪。

人間が一人無抵抗で傷だらけにされて死亡したのに無罪。

大事に育てると言って連れて帰ったのに。

生きる為の命だったはずが死亡しても誰もこの赤ちゃんを思い出してくれないかのような無情な判決でした。

なんの声も上げられない小さな命はいつまでたっても浮かばれない。

もし育てる親が違っていたら全然違う現実があったかもしれないと思うとやるせない。

ほんの一時でも関わった者としてあの時どうすれば良かったのかと言う疑問を残したまま終わってしまった感じです。

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